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番外篇 コピーライターの述懐

コピーライターという職業がある。
スポットライトが当たる花形芸というよりは、地道な職人芸である。
そのベテランが書いていた。
これまで多くのコピー(広告文案)を書いてきたが好きで書いたものは一つもない、と。

もちろん、好きだからそれが続けられるのでその言い方は韜晦の一面はあるにしても、
基本的には自分が書きたいものを書くのではなく
他人から頼まれたものばかりだったというのである。
自分の仕事ではあっても自分のものではないという寂しさの述懐である。

職業文筆家も、雑誌や新聞などの買い手がいて初めて金になる商売である。
自分の書きたいものを自由に書けるわけではない。
その点、ネットでは、ブログやHPなどで書きたいことが書けるから楽しいのである。
庵主は新聞を取っていないといっているがそれは嘘である。実は入っているのだ。

ほぼ日刊の「頂門の一針」を愛読している。購読料無料のメール配信の新聞である。
編集長一人の新聞であるが、編集長は老齢を押して、しかも病に堪えての発行である。
書きたいことを自由に書けることはそれほど楽しいのである。病をも乗り越えるのである。
それを身を削るともいうが、庵主も身を削ってお酒を呑んでいるのである。うまいから。

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自由に物を書けるのは楽しいのだが、それをやっていたら話が別の方向に行ってしまった。
この記事で言いたかったことは別のことだったのである。
よって延長戦である。なお、庵主が削っている身は、身体ではなく財布の中身の方である。
コピーライターは他人の依頼でコピーを書くという。

だから、有能なコピーライターは、デリバティブを慫慂するコピーも書いたのである。
無知な消費者(カモ)を投機に誘い込むコピーもものにしたのである。
多くの人がそのルールを理解できないゲームに巧みに誘い込む文章を、である。
いまとなっては、庵主によって金融賭博と訳されるようになったデリバティブである。

犯罪の被害者を量産したのであるから、コピーライターの罪は小さくないはずだが、
当人はなんら心に痛痒を感じていないはずである。
自分が好きで書いたものではないからである。頼まれていやいや書いたものだからである。
良心を素通りして書かれたものだから、そういうのを売文という。

そのすべての責め(せめ)はクライアント(依頼者)にあるということである。
庵主はその手のルールが覚えられないのである。麻雀がダメ、ゴルフもダメである。
デリバティブなんか、どう頑張ってもそのルールを理解できるわけがない。
お酒も本当はよくわからないが、その結果だけはうまいものだと理解できるのである。

by munojiya | 2009-03-23 00:07 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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