現代芸術はなぜ病んでいるか
感動を覚えることがないのは、庵主の感受性が低下していることもあるだろうが、
それらが先鋭化して、庵主の感情ではついていけなくなっているからなのだろうと思う。
やっている人は一生懸命芸術家をやっているのである。己の道に励んでいるのである。
ただ、庵主には残念なことにその先端的な感性を理解できないのである。
先鋭化された芸術は見る人を選ぶということである。
大手酒造会社が造っているというお酒が、庵主にはとってはないのも同じように、
それらの先進的な芸術は、庵主の理解を越えているということでないのと同じなのである。
いずれも接点がないということである。以下は庵主の仮説である。
歴史にも人間同様老化現象があって、成長期の音楽なり絵画はおもしろかったのである。
いま歴史は衰退期に向かっているのではないか。
衰退期というのは老齢期と言い換えても同じである。感動は衰えるが感性は無用に先鋭化する。
現代芸術は病んでいるのである。感覚が鋭敏化していらないものまで感じてしまうのである。
すでにピークを越えている映画の新作が技術的には面白いものがない理由と同じである。
細部にこだわって全体が見えなくなっているのである。だから共感が得られなくなっている。
お酒は楽しく呑むというのが全体、うまいまずいというのは細部なのである。