人気ブログランキング | 話題のタグを見る

呑み手の肩書

造り手、売り手、呑ませ手、呑み手と庵主は書いている。
それぞれ、杜氏・蔵元、酒販店、酒亭・居酒屋、そしてお酒を呑む人をいう。
そこで問題は、呑み手の肩書なのである。
ただ呑み手だといったのでは人は安心しないのである。何者かと心配になるからである。

かといって、庵主は愛酒家というわけではない。
愛煙家という言葉はあるが、愛酒家という言葉はまだ馴染んでいないのである。
読書を趣味という人がいるが、本を読むことはそんことは当たり前の日常生活なのだから、
毎日食事をするのと同様で、食事を趣味と言わないように、そんなものは趣味とはいわない。

お酒も、それを呑む人を愛酒家と呼ばないのは、呑んで弁えているのが当たり前で、
酒を好むことをことさら愛するというまでもないということなのかもしれない。
なお、堅気の女はお酒を呑んではいけないという暗黙の建前があるから、
日本語で「愛する」というときには暗にそれは変態(淫する)だという含みがあるにちがいない。

試飲会などに行くと、庵主に対して何をされている方ですかと聞かれることがある。
ただの呑み手である。勤め先や職業があっても、それがお酒を呑んでいるいるわけではない。
杜氏や蔵元や酒販店や居酒屋はそれでお酒を呑んでいるのであるが、呑み手はそうではない。
呑み手の肩書はいうならばお酒教の信者なのである。酒教の信徒である。酒興徒なのである。
by munojiya | 2009-06-21 00:56 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya