2009年 12月 10日 ( 3 )
091210 「うまい」が最高の価値になってしまった
それを庵主は自分〈おのれ〉の限界を見たというべきか、
生きていることの真理にたどりついたと見るべきかはおいておいて、
人間の最高の幸せは「うまい」と感じることができることなのではないかということである。
小賢しい智恵とか、根拠のない優越感とか、使いこなせない財産などはどうでもいいのである。

名誉や勲章も本人が死んでしまえば、雲散霧消してしまう自己満足でしかない。
もちろん他人の自己満足を貶す理由はないからそれは十分にすばらしい価値観なのである。
一個の勲章、あれっ、勲章を数えるときはなんというのだろう。
個とはいわないだろう。一飾か、一佩か、一式か、勲章に縁がないので庵主は分からない。

その勲章一つで人が喜ぶのなら、それで元気になれるのなら安いものだと思う。
自分は偉いと思っている人に頭を低くすれぱ当人が喜ぶのなら、頭を下げるのは只である。
他人より上になっても、優越感を満たす以外に何も利益がないと思われるのだが、
人はそれがないと生きていけないのかもしれない。他人がいないと生きていけない。

頭がいいとか、家柄がいいとか、財に恵まれたとということは所詮天与の才である。
しかし、「うまい」という感動は自分だけのものである。生きている証である。実感である。
その「うまい」の最高峰がお酒にあると庵主は思っている。お酒の「うまい」は無心に通じている。
他人との比較を必要としない世界なのである。それは天に共鳴することだからである。
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by munojiya | 2009-12-10 00:38 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(1)
091210 余外篇 卓見
「達見」という言葉があったと思って「たっけん」と打ったら、「卓見」という言葉が出てきた。
と、同時に、その言葉を使うのはちょっとまずいのではないかと躊躇いを感じたのである。
引用させてもらう人様の意見を、達見だとか、卓見だとかいって紹介することは、
自己顕示欲が強すぎるのではないかとふと気になったのである。

その意見を達見とか卓見というのは、自分はその立派な意見をくみ取れる能力があるのだと
暗に自慢していることになるのではないか。それはみっともないことなのではないか。
日本人は謙譲ゲームを旨とするのである。日本人は一つ引いて相手を立てるのである。
相手の謙遜よりも、さらに自分が謙遜することで、相手を高みにおくのである。

だから、俺が俺がという自己顕示欲が強い人はきらわれる。
あれは、日本人じゃないのではないかと、あらぬ疑いをかけられることになる。
すなわち軽蔑されるのである。ゲームのルールを知らないのかという蔑みである。
「てめぇ、それでも日本人か」という、暗黙の嘲笑である。勿論それを口にはしない。

うまいお酒は呑むものではない。庵主めが呑ませていただくものなのである。
お酒を選ぶのではなく、そのお酒が呑み手を選ぶのである。
と書くとこれまた思い上がりになってしまう。
自分はいいお酒に選ばれるに相応しいという うぬぼれである。謙遜が足りないのである。
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by munojiya | 2009-12-10 00:36 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
091210 笑い話 北朝鮮より怖い自民党
「ネトウヨ理想の国、それが北朝鮮」というギャグは例によって駄菓子本である。【▼以下引用】
■ネトウヨ                ■北朝鮮
天皇陛下万歳               将軍様マンセー
核武装賛成                核実験中

平和憲法(9条)なくせ          平和憲法なし
売国マスコミ潰れろ            自国賛美の国営放送
弱者(派遣)は自己責任.          農村部で数十万人の餓死者 
地方は甘え、道路とか不要.         都市部はいい暮らし

いっそ鎖国しろ              国際的に孤立
売国奴は死刑にしろ            売国奴は死刑、強制労働
国旗の侮辱は死刑にしろ          国旗の侮辱は死刑 【▲引用終了】

自民党の終焉も間近なようである。

20世紀の栄光が次々に終わっていくのを見送る思いである。
この先には何々があるという展望が開けないのでキツイのである。夢がないのである。
日本酒も次は何を目指すのかが見えていないのが苦しい。うまい酒と安い酒の二極化か。
呑み手に任せると、淡麗ではあるが芯が弱い綺麗なだけのお酒になってしまうのである。
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by munojiya | 2009-12-10 00:23 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)