2011年 08月 30日 ( 3 )
2011-08-30 一杯のお酒で幸せになれるお店
五勺〈ごしゃく〉のお酒一杯ですっかり酔いが回ってしまったのである。
一合は十勺だから、五勺というのはその半分ということである。
また、一合は180MLだから、五勺は90MLである。
そのお店の一番小さいグラスがそれだった。

よって、庵主が呑めるのは2杯ということになる。正一合が庵主の酒量なのである。
数多くの美酒が書かれている本日の酒祭りの中から適当に選んだのは
「裏・雅山流/楓華」である。グラス一杯が350円だった。適量にして適価なのである。
呑める。いいのである。庵主にも呑めるお酒だということである。期待通りにいいのである。

庵主はお酒は酸味だと思っているが、このお酒も酸味がきれいに出ている。お酒がうまい。
最初から納得のいくお酒が出てきたので、二杯目のお酒に期待が高まるのである。
この酒祭りの水準は高いということが判るので、どれを選んでも安心できるからである。
つぎは「鍋島」か、まだ呑んだことがない「鏡山」にするかと思案していたのである。

最初に1.5Lのペットボトルで水が出てくるからたっぷり水を飲むことができるのもいい。
やっこ豆腐を頼んだら、どんと1丁で出てきた。あての量も十分なのである。
が、突然酔いが回ったのは、空腹でお店にはいったからである。二杯目に辿り着けなかった。
少量で、きれいに酔えたのである。四谷三丁目駅の近くにある「酒徒庵」でのことである。
[PR]
by munojiya | 2011-08-30 01:18 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2011-08-30 笑い話 教養の漢文
漢文が教えてくれた三つのこと
・酒はうまい
・友達は大切にしろ
・国は平和であるべきだ
駄菓子本(136番)

腐った木は彫れない。
これも。
』(144番)
漢文はお酒の入門書なのである。
呑み友達を大切にせよ。平和でないとうまいお酒は呑めないと説くのである。

教養というのはうまいものなのである。
「汝、酒を呑むことを躊躇〈ためら〉うことなかれ
嚢中(「のうちゅう」。財布の中)おのずから銭〈ぜに〉あり」
その原文を書けないのは庵主に教養がないからである。

しかし、必要なのはその形式ではなく、その精神なのである。
うまいお酒を呑みましょうという古人のお誘いを感じとれればいいのである。
素面〈しらふ〉で漢文を読むのは勿体ないということが分かればいいのである。
幸い、わが国には、酔いしれるに足るうまいお酒に不自由はしないのである。。

-----

漢文の真実『古文の先生が首になったら
ほかに働き口が絶対にないから
なくすことはできないな
元学校の先生ってだけで採用したくないし
』(152番)。既得権とは失業対策でもある。

[PR]
by munojiya | 2011-08-30 01:11 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2011-08-30 池田大作さんの近況
末尾に、2013年11月6日時点の最新情報を追記。さらに2017年9月6日に追記。

「報道の自由」を標榜するのはわが国のマスコミである。
強姦されて殺された女の子の顔写真を晒すのも報道の自由らしい。
外国の報道機関がきちんと報道している「フジテレビ抗議デモ」を一行も報道しないのも
報道の自由らしい。

そういうのをお題目というのだろう。
自分にとって都合がいいことである。
庵主は「正義」とは自分にとって都合のいいことと定義しているが、正義とお題目の違いは
お題目を掲げると儲かるということである。正義は必ずしも儲かるものではない。
                           
お題目で稼ぐのが宗教商売である。御布施と引き換えに心の安静が得られるという。
庵主にはお金がないから、宗教から声が掛かることがない。それで却って安静を得ているが。
相手も人を見るのである。人の懐具合を見るに敏なのが宗教家の才能なのである。
いま日本国内で一番儲かっているのは創価学会だろう。世界的にはカトリック教かな。

創価学会のトップが池田大作さんである。その生死がどうなっているのか判らないのである。
ここしばらく「聖教〈いけだ〉新聞」にそのお姿を現さないからもう亡くなっているのかも。
死んだら本名バレるからまずかったのか?駄菓子本(11番)と心配されている程。
庵主は「うまいお酒を呑め」というお題目を掲げるが、只故にボランティア宗教なのである。

-----

せめて、『北朝鮮みたいにフォトショで何とかしろよ。』(14番)
〈いけだだいさく〉を語るはずの「聖教新聞」がその夢を出してこないのは、
信者〈スボンサー〉に対する背任なのじゃないのか。紙面が死んでる。「購読料返せ!」。
おっと、庵主はそれを恵贈されているからお金を払っていないのだった。紙面が寂しいのだ。

A アドビで[アドビは、画像偽装ソフトである「フォトショップ」のメーカー]
 K 加工する[おっと、画像化粧ソフトと言い換えておこう]
 B ブサイク』というのがあった。21世紀はフォトショップ全盛なのである。
庵主がデジタル画像はつまらないという理由である。そこには本物の夢がないからである。

-----

石原さとみと上戸あや[ママ]が会長、副会長になるなら俺も入信するわ』(28番)
明確な料金体系にしてもらわんと』(71番)。AKB同様、会長を総選挙で決めるか。
宗教も夢をばらまけなくなったらもう存在価値がないということである。お酒には夢がある。
生きているかどうか判らないのは『年金詐欺か』(32番)という邪推もあるのである。

消息通『今頃あの世でノリエガと仲良く酒飲んでるんだろ』(35番)
醒めている人『もう死んでるがな 祝電[学会の葬儀時の過去の実例]打つべき』(59番)
冷静な信者『でも何故か聖教新聞みてると毎日新聞に池田先生がどこかで表彰されてる記事が
一面に出て来るんだが
』(46番)。本当に亡くなっていたらこれって受賞詐欺になるぞ。

歴史通『初代も死んだこと3年隠したんでしょ』(69番) 
知恵者『学会員に医師がいるから、自由に死亡時期を工作できるからね。』(95番)
絶対矛盾『認知症で寝たきりって噂だな
信心が足らんから仏罰が下ったんだろう
』(122番)。ボケは信心では防げない。

信心で、HAGAに毛が生えることもないのである。
信心が足らなかったから死んだんだな』(115番)
人は、信心不足を証明するために信心するのである。信心は間尺に合わないのである。
信心するとどうなるか。足りないと仏罰が当たる。庵主は怖いから近寄らないのである。

-----

与太〈ゴミ〉話を拭う美しい一言『信者諸君の心の中で生きてます』同上(米欄)

-----

2012年5月3日の追記。
2012年5月3日付の「聖教新聞」に4月に撮影した池田名誉会長夫妻の写真が載っている。
しかし、同日の「聖教新聞」のサイトには肝心なその写真が載っていないのである。 ●魚拓
創価学会にとって5月3日とは記念すべき晴れの日なのである。それにもかかわずである。

差し障りがあるということでサイトには掲載しなかったのだろうと思われる。
その写真で何が分かるのかというと、すでに会長には往年の覇気が感じられないのである。
その表情は、気の抜けたビールを思わせるのである。生気が感じられない。
写真は、時に気を捉えるから怖いのである。だからサイトには掲載を見合わせたのだろう。

-----

ところで、ネットではこれが周知〈あったりまえ〉の事実〈じょうしき〉だという。
庵主は、名誉会長夫人が帰化人だとは知らなかったから、常識が欠けていたのである。
公人なのにその両親の名前と出自が分からなかったら如何わしいとみていいということだろう。
信用できない人だということである。世の中には如何わしい人が少なくないのである。

-----

多くの人が名誉会長の容態〈ようだい〉を心配されているようである。
本部幹部会等に和歌やメッセージを贈っているが、それらの語調が変化しないのは、健在な
頃からゴーストライターによって作成されているからだと言われているよ。
』(典拠その回答)
池田大作という名前は、きっと「代作」の語呂合わせなのだろう。

-----

2012年9月1日追記。
同日付けの「聖教新聞」を見たら、相変わらず名誉会長の亡霊写真(元気だった頃の写真)
が載っていた。まだ生きているらしいことは窺えるのである。庵主が分かるのはそこまでだ。
死亡説もあるが、生死の確認が取れない統一教会の文鮮明と似たような状態みたいである。

最近の創価学会の様子を書いた記事があった。
ここでも見掛けの隆盛とは裏腹に、組織の劣化が進んでいるようである。
人はいつまでも若い姿ではいられない。必ず劣化する。組織もまたそうなのである。
劣化を老化と言い換えても同じである。成長するということは老いることなのである。

-----

2012年10月23日の追記
池田大作氏の著書は誰が書いているのか。
池田本のゴーストライター・野崎至亮副会長の離反』(典拠)という記事があった。
池田氏が撮ったという写真は「聖教新聞」の写真局長が撮ったものだという。

内藤國夫氏が執筆した「創価学会・公明党"スキャンダル・ウォッチング"」(日新報道刊)
には、「H聖教新聞社写真局長。池田専属の付添いカメラマンというのが表向きの職業だが、
じつは池田の写真のゴーストライター(フォトグラファー)といったところが本職である。

典拠)という。巨大組織を運営していると思索や写真の修練を積んでいる時間がないのである。

いずれも、部外者の庵主には確認のとれないことなので、なるほどと読み流しているが、
庵主にはこっちの方が気になったのである。
40代の職員の平均年収は1000万円以上ですし、まして副会長となれば数千万円です。
(同前米欄)。

宗教ってそんなに儲かるものなのか。儲かる“宗教”をカルトと呼ぶのだったっけ。
副会長で数千万円が事実だとすると、それから推定するに名誉会長のそれは億単位なのか。
それで“創価”学会というのか。庵主にはぶくぶく太った宗教を想像することができない。
〈おかね〉を創〈つくる〉学会〈きかん〉という意味なのか、と納得しちゃうのである。

-----

池田氏の学会員に対する旺盛なサービス精神を讃える逸話があった。
池田大作もしばしば演出をします。彼があるときから突然あざやかにピアノを弾きだして、
みんなを驚かせたことがあります。音源を別に用意しておいて、実際は弾くふりをするだけ、
というカラクリがわかるのに1年近くかかりました。

その間、全国津々浦々で「先生はどこで練習したのか」と話題になっていた。いまでも信じて
いる人が多いのではないでしょうか
』(同前)。盲や跛を治したキリスト手品を思い出すが。
なお、「演出」という言葉をヤラセという意味で使うのは間違いである。正しくは、その人の
長所や才能を導き出すことをいうのである。この例では「剽軽な才能」を引き出したものか。

-----

2013年11月9日追記。
2013年11月6日付「聖教新聞」に、信濃町〈しなのまち〉に新たに完成した総本部の
3階にある1400席の大礼拝堂で前日行なわれた落慶入仏式で導師を勤める池田名誉会長の
写真が載っている。ただし、イス席には誰も座っていないという奇妙な写真ではあるが。

同9日に行なわれた落慶記念勤行会の写真には教祖なのにその顔が見られないのである。
落慶入仏式を少人数で行なったのは、見られて困る事情があったのではないかという邪推を
したくなるのは庵主の悪い癖である。雅子妃同様ご体調のせいなのか。明治天皇の写真がない
のは、当人を知っている人がその写真を見たらバレてしまうからだという説もあるのである。

-----

2017年9月6日の追記。
2017年7月4日に投稿された池田大作さんの近況を伝える動画がユウツベにあった。
「池田大作名誉会長は元気に執筆していると、原田会長や山口委員長が明言しているが、それは
どうやら嘘らしい」と、日蓮正宗の本種寺支部の武田一男講頭が語っているものである。

いまでは、池田大作名誉会長は、創価学会の職業幹部がその利権を維持するための道具になって
いるというのである。元気に執筆しているのは、「池田大作」を名乗るチームなのだという。
譬えるならば、父親が死んだことを隠して年金を受け取る年金詐欺同様の振る舞いを創価学会の
幹部はやっているというのである。庵主の邪推もそれに合致するのである。

[PR]
by munojiya | 2011-08-30 01:01 | Trackback | Comments(0)