2018年 04月 11日 ( 2 )
2018-04-11 一邪飛
アメリカから、大谷翔平が野球で活躍しているという話題が、庵主の所にも伝わってきている。
しかし、庵主はテレビがないのでその大谷翔平を知らないのである。
その活躍を見る機会がないからである。接点がない世界の人だという事である。
そもそも庵主はスポーツを見るという習慣がないからである。

カタワという言葉がある。今庵主が使っているワープロの字書はその漢字を書けないのである。
言葉を勝手に、いや恣意的と言っておくか、使い勝手が悪くなるのに制限しているのである。
自分は使わなくてもそれを使う人がいるのだら最初からちゃんと搭載しておけよ。
と思うのは少数意見なのだろう。誰が決めたか判らないが差別用語ということなのだろう。

片輪は奇形の場合はフリークスといって見せ物にされることが多い。
奇形を見せ物にして楽しむのは気がひけるが、しかしそれはフリークスの生活保障でもある。
フリークスはそうでもしなければ食い扶持が稼げないことが多いからである。
見せ物ではあるがそれはフリークスを自立させるための方便でもあるのである。

スポーツ選手もそれである。奇形ではないのに、自ら進んで奇形になろうとする人達である。
フリークスは肉体が奇形なだけだが、スポーツ選手は精神が奇形〈いびつ〉なのである。
奇形を見せ物にするのは本当は忍びないのである。面白ければそれも良しという考え方もあるか。
うまければどんな酒でもいいように。さて一邪飛である。それは欄外〈はみだし〉送りである。

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庵主は、いまはスポーツを見る習慣はないが、野球だけは分かるのである。
「一邪飛」とあれぱ、それを「一塁ファールフライアウト」と読めるのである。
「中直」も「センターライナーアウト」と読めちゃうのである。
「左飛」は「レフトフライアウト」である。

なのに「空振りの三振」は「空三」とか「振振」とは書かないのである。
「三振は見事三振」だからである。
「空振りの三振」を「振振」と書いたら「空振りの三振で振り逃げ」は「振振振」になっちゃう。
原典はこうである。

『[大谷翔平は]2点の援護を受けた直後の2回はデービスを中直、
オルソンをスプリットで空振り三振、チャップマンは左飛に仕留めた。
さらに3回はルクロイを156キロストレートで
一邪飛』(典拠1:20)。

昔、三菱UFJ銀行は、東京三菱UFJ銀行と名乗っていた。
それを「東三銀行」と略したら、「千三つ銀行」みたいだし、「とうさん銀行」と読んだら
「倒産」に聞こえるので縁起が悪いとでも思ったものか、今の行名になったのである。
「三U銀行」と書いたら、野球語では何と読むものか。それこそ「三振・振り逃げか。

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by munojiya | 2018-04-11 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-04-11 「種明かしが悲しい」というプロマジシャン
プロマジシャンとして、本当にこのような種明かしとかされるの悲しいです』(典拠米)。
マジシャンというのは、不思議を演じる事ができる人をいうのであって、はっきりいって、
手品の種なんかどうでもいいのである。
手品を使って人を楽しませることができる人をいうのだから。

手品は娯楽の範疇〈はんちゅう〉なのである。
手品を使って悪さをする人は詐欺師といって犯罪の範疇なのである。
純米酒は神が造ったお酒である。
アル添酒はそれとよく似ているが、人が造った合成酒なのである。

実用上はどっちでも、見た目といい、味わいといい、ほとんど変わらないが、その基本的な
考え方は異なっているのである。
手品も、それを娯楽とするか、金儲けの道具とするかで種明かしの意味が異なってくる。
庵主は娯楽ととらえて楽しんでいるから、種なんかどうでもいいのである。

知らなくても楽しめるし、知っていても、それを上手な人が演じたら十分に楽しめるからである。
例えば、丸山真一というマジシャンのカードマジックは出色である。いや、圧巻である。
種を知っていても、それを軽々と演〈や〉ってのけるその技術にうっとりするのである。
それができるという事自体が不思議なのである。まさに手品を見ているようなのである。

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カードマジックでやってはいけない事というのがある。
それは、客に「好きな一枚のカードを選んでそれを覚えてください」という事である。
「好きなカードを」と言われたら、客はそのカードを覚えなければならなくなるなと恐怖を
覚えて、身構えるのである。逆に「一番嫌いなカードを選べ」と言われても同じである。

なぜなら、成長期にある子供ならともかく、大人はカードを覚えられないからである。実例
例えば選んだカードが「ダイヤの4」だったとする。
最初は覚えているのである。しかし、そのうちさっき選んだカードが「ハートの4」だったか、
「ダイヤの4」だったか、自信がなくなるのである。緊張すると子供でも忘れてしまうのだ。

あれ、どっちだったかなと、不安になってきたときに、「選んだカードはなんでしたか」と
聞かれたら、緊張のあまり、色を間違えて、「黒の10」だったと答えかねないのである。
客に、しなくてもいい緊張を強いてはいけない。恥をかかせては上手なマジシャンは、
客に心理的圧迫を与えないように「一枚カードを指さしてください」とさりげなく言うのだ。

もっとも、手品というのが日常の空間でなはく、非日常の異常な空間なのだと割り切って、
日頃はそんなものを見たり触ったりする事もないのに、突然、トランプなるものが出てきて、
「好きなカード」を選ばさせられるのは悪夢を見ているようなものだと居直ってしまえば
いいのかもしれない。手品は参加する事に意義があると五輪精神で臨めばいいのである。

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そして、手品でやってはいけないことの二つ目は、長く演じることである。
カードマジックなら、二つか三つで十分である。
庵主なら、いくら手品が好きでも10分も20分も観続けるのはつらい。
飽きるというよりも、注意力が続かないのである。

庵主はお酒もそれで、だらだらと呑み続けるだけのアルコール耐性がないから、
呑み続けると、そして適量を超して呑むと必ず酔っぱらってしまうのである。
だから、お酒は、旨いものをほんの少しだけ、せいぜい二、三杯で十分なのである。
いな、それ以上は一度には呑めないのだ。手品も上質なものを少しだけで十分なのである。

丸山真一はそれを50分に渡って演じるのである。
その長い時間を飽きさせないのである。その技に関心するのである。
その映像を見ている庵主は、途中で半分眠りながら見ていたが、
ハッと目をさましたら、まだ続いていた。

その場にいる人達は手品で盛り上がっていたのである。
昔、長尺の魔法映画「ハリーポッター」を観に行った時がそれだった。
魔法に包まれて、魔法みたいな映像につつまれて、何度か眠りに落ちたが、何度目をさましても
映画はまだ続いていたのである。

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客にカードを選ばせても、覚えさせない演じ方の一つがこれである
これなら、客が選んだ(ことになっている)カードを覚えてもらう必要はないのである。
最後に4枚揃ったところで、客が選んだカードがトリで登場してクライマックスを飾るのである。
客にカードを覚えてもらうのではなく、スターを演じるカードを選んでもらうのである。

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by munojiya | 2018-04-11 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)