2018年 04月 13日 ( 2 )
2018-04-13 野球ファンの純愛
アメリカで大谷翔平フィーバーが起こっているという動画である
それが本当に起こっているかどうかは、庵主は実感することはできない。
アメリカから遠く離れた日本で、しかも半径5メートルの生活をしているからである。
世間の様子は、親切な、あるいはお節介な、もしくは底意のある情報でしか知る事ができない。

ただし、当ブログのお酒に関する美味い不味いの評価は実感である。
庵主が実際に呑んでみたものだから、そこに誤断はあっても嘘はない。真実の情報なのである。
お酒は、現物を呑んで確認できるので、より真実に近づける事ができる世界なのである。
実感できる世界だから面白い。現物に実際に触れることができるという事である。

そこには嘘が混ざり込む余地がないということである。
とはいえ、世の中は立ち位置が異なると同じ物が違って見えるものだから、手品がそれの具体例
だけど、そのお酒を呑んだときの心境の違いによって、そのお酒の評価が違ってくるという事は
否めないのである。同じお酒なのに、幸せ酒になったり、悲しい酒になったりするのである。

うまい事を言っている動画である。プロ野球の選手は年俸を求めて、いくつものチームを転々と
するが、そのチームのファンは浮気をしないというのである。じゃ選手とは何なのだ。
取っ替え可能の純愛相手という事になる。そんないい加減な純愛なんてあるか、である。
でも、お酒もそれで、庵主などは日々違うお酒を呑んで、お酒を嗜んでいるのである。

-----

庵主が見たその動画はいわゆるパクリなのだという。
パクリというのは著作権侵害物件だということである。
映画なら、それを「映画泥棒」という穏やかでない言葉で呼ぶのである。
これ今日のコラムそのまま引用しているだけですね。

動画にする必要あるの?』(典拠米)。
ユウツベの動画の多くはハンドルネームがある場合もあるが、誰が発信してるのかわからない
ものである。容れ物で判断することができないので、中身で判断するしかないのである。
その情報がうまいか、まずいか、で判断するしかないということである。

お酒も多くはそれで、多くのお酒は、何で造られたか、どうやって造られたかは判らない。
ただ、呑んでみて、美味いか不味いかで判断するだけである。
だから、その動画がパクリであっても、庵主にとってそれが面白いものだったら、その著作権
なんかどうでもいいことなのである。拝金“趣味”者に勝手に騒がせておけという立場である。

その動画が『今日のコラム』を書いた人が上掲しているかもしれないし、その主張がこの動画
があることで庵主の目に触れたのだから、『動画にする必要』はあったのである。
庵主の許〈もと〉に世間の情報を伝えてくれたのだから主張の拡散には役立っているのである。
庵主にも、野球が面白かった事があったんだなぁという懐旧の思いを思い出させてくれたのだ。

[PR]
by munojiya | 2018-04-13 08:14 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
2018-04-13 これは手品ミュージカルだ
ミュージカルという表現技法がある。
唄って、踊って、なにかを伝えようという、考えようによってはふざけた表現方法である。
手品はでは「技法」が持て囃されるけれど、それをたくさん知っていて、しかも上手にできる人
が尊敬されるけれど、それ自体は手品ではないのである。

手品を演じるための手段が技法なのである。
技法なんか知らなくても、そんなものを使わなくても不思議を演出できればそれは手品なのだ。
目的は達成されてるいからである。不思議が実現しているからである。
手品という趣味にハマると、技法という手段が目的化してしまうことがある。

マニア同士なら、技法の上手下手も手品になるのである。
しかし、本来の手品の愛好者にはそんなものを見ても何の不思議でもないのだ。
不思議ではあっても、その技に感心はしても、それを見て不思議だとは思わない筈である。
見たいのは不思議な現象であって、技法の上手下手ではないからである。

ミュージカルも、それを使って何をいいたいのかが分からないストーリーだと、手段が目的化
してしまうのである。歌は上手、踊りは上手であっても、それを見ても感動がないのである。
ミュージカルというのは、いいたいことをオブラートに包んで語る技法だと庵主は思っている。
これは手品ミュージカルである。歌も振り付けも洗練はされていないが、笑えるのである。

[PR]
by munojiya | 2018-04-13 07:37 | 世話物 | Trackback | Comments(0)