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メイド バイ オキュパイド ジャパン
それが、メイド バイ オキュパイド ジャパン、だったか、
メイド イン オキュパイド ジャバン、だったか、
ただ単に オキュパイド ジャパン、だったか、庵主の記憶は定かではない。
オキュパイドというのは占領下にあるという意味である。

終戦後の国産品にはそう表示されていた商品があった。
たしかにそういう屈辱的な表示がある商品を見た記憶がある。
国内で売る分にはそういう表示する必要がないから輸出品のための表示だったのか。
戦争に負けることが惨めなものであることを、今お酒を呑んでいて知るのである。

昭和24酒造年度というのは、
わが国の歴史上はじめて三増酒が造られた年である。
それは後年、呑み手から轟々たる非難を浴びることになる酒だった。
酒造りが、伝統的手法から革新的手法に変化した年だったのである。

古い上着よさようなら、だったが、こんどのはペラペラの上着だったのである。
最初は暫定的のつもりだったのだろうがそれがいつのまにか本流になってしまった。
そういう造りに慣れた杜氏がまっとうなお酒を造れなくなってしまったからである。
こと日本酒においては今でも占領下のお酒を呑まされているようなものなのである。
by munojiya | 2007-03-31 00:06 | Trackback | Comments(0)
メイド イン ジャパン
かつて、メイドインジャパンといえば海外では安物の粗悪品の代名詞だったと聞く。
しかし、いまやメイドインジャパンは高級品をいうあこがれの的となっているという。
国産品の品質が戦前のそれと比べてどれも格段によくなったからである。
多くの商品において日本人が誠意をこめていい製品を造ったからである。

そんな中にあって昔ながらのメイドインジャパンをやっていたのが
日本酒だった。
そもそもお酒を外国に売るという発想がなかったのでそれに気が付かなかったのである。
外国にその商品を持っていって、評価が昔のメイドインジャパンだと知ったのである。

それではならんと一発奮起した蔵元が真っ当なお酒を外国に持っていくようになった。
さすがにそれは「プレミアム・サケ」と呼ばれて歓迎されているという。
いや、渇望されていた商品をセンスのある人が好んで高いそれを口にしているという。
日本酒は日本製の商品では遅れて世界に紹介された秘密兵器だったのである。

それまでの「ジャパニーズ・サケ」は安くてまずい酒の蔑称だったという。
その飲み方も超熱燗という身も蓋もない飲まれ方をしていたという。
「プレミアム・サケ」とは吟醸酒・大吟醸酒のことである。
一方、国内では今でも「ジャパニーズ・サケ」が健在なのは商品の多様性なのである。
by munojiya | 2007-03-30 00:15 | Trackback | Comments(0)
脈を打つような
脈を打つような、
飛び上がるような、
ぴかっと光るような、
電気が走るような、

銃弾に撃たれたような、
突くような、
削るような、
引き裂くような、

錐で刺すような、
ときには、暴力的な、耐え難い、惨めな痛み、と際限がないという。
癌で生じる痛みのことである。(「選択」2007年3月号「モルヒネ疼痛ケアの思想」から)
表現がゆたかなのである。

その点、庵主のお酒の表現は、うまい・おいしい・楽しいの3語だから
幸せは言葉を生まないのである。
不幸は千差万別だが、幸せのパターンは一つだといったのはトルストイだったか。
いいお酒を呑むということは幸せを味わっているということがよくわかるのである。
by munojiya | 2007-03-29 00:50 | Trackback | Comments(0)
酒に対して失礼な話
酒の席で諍(いさか)いになったことがある。
話していた相手が急に切れてしまったのである。
多分庵主のなにげなく口にした言葉遣いがよくなかったせいなのだろうが、
興奮した男はその感情を言葉で説明できない状態に陥っていたから理由はわからない。

思うに一つの言葉の意味が相手と庵主とではその軽重が異なっていたようなのである。
簡単に言えば相手が大切にしているものを庵主の言葉は粗雑に扱ったということである。
相手は年上だったから、理非はともかく庵主が下手に出て謝るしかない。
仮に庵主の方が悪かったとしても、自分は正しいと思いたいのがだれしものことだろう。

幸い酒の席で他人が同席していたからその判断は行司にまかせたのである。
あとからやっぱりお前が悪いと窘(たしなめ)められた。
第三者がいなかったら反省するキッカケがないところだった。
仲介というわけではないがその他人からも取りなしておくよということになった。

直接相手に謝るのも気恥ずかしいので「酒に酔っていたことにでもしてほしい」といったら、
そんなことをいったらお酒に対して失礼だとぴしゃりと咎(とが)められてしまった。
他人というのは庵主のお酒の後輩である。
その夜は人生の先輩とお酒の後輩との間に挟まって身を小さくしていたのである。
by munojiya | 2007-03-28 01:51 | Trackback | Comments(0)
純粋というのはことお酒に関してはつまらないということ
うまいお酒というのは実はまずい酒のことをいうのである。
お酒の雑味を取り除いていくとかえって呑んでもつまらない酒になることがある。
その一例が新潟流の淡麗辛口のお酒だった。
活性炭を使ってああいう酒質を実現したのである。

じつにきれいなお酒である。
あたかも水のように呑めるさわりのない酒である。
そして、庵主には、呑んでもちっとも心に触れるものがない酒なのである。
そういうお酒は呑んでもつまらないと庵主は思う。

うまいとかまずいとか感じるお酒は呑んでいてもまだ楽しい酒なのである。
お酒のうまさとはその雑味の妙をいうからである。
蒸留を重ねて造った醸造アルコールはいうなればアルコールを極めた酒である。
ただそういう酒を呑んでも庵主にはそれがうまいとは感じられないのである。

音楽の音源がテープからデジタル録音に変わってたしかに雑音はなくなったが、
その分なんとなく音楽が寂しくなったような気がする。
雑音を聞きわける楽しみがなくなったから音が俄然つまらなくなったためである。
それと同じように純粋というのはお酒を味わうときには無粋の極みなのである。
by munojiya | 2007-03-27 01:15 | Trackback | Comments(0)
あれっ、俺は日本人か
多くの日本人はまともな日本酒を呑んだことがないと庵主はいっているが、
思えば、庵主もまた日本人の看板を掲げながら日本のことをよく知らないのである。
いうならば、気分だけの日本人なのである。
いちおう日本語を使っているということでその一員として自認しているのだが。

まず、日本料理というのがあるというのだが、そんなものを食ったことがない。
いや、体験したことはあるが、それは非日常的なできごとである。
庵主にとっては浦安のディズニーランドにまぎれこんだようなものである。
普段の食生活などとは隔絶した場なのでいたく居心地が悪いのである。

伝統芸能である歌舞伎だ、能だ、狂言だというのも見たことがないし、
ご宗旨はと聞かれても答えられないが、それでも日本人をやっていけるのである。
日本語という共通言語をなんとか読み書きできるからである。
日本を愛していると声高に叫んでいる人だけが日本人なのではない。

愛国者を標榜する人もいるが、愛国者はならず者の最後の砦だといった人がいる。
愛国心を掲げるのは原価がただだから誰でもできるからである。
少なくとも日本酒を語るとなると不断の飲酒と経験を蓄積する努力が欠かせない。
庵主はお酒を呑むことでかろうじて日本人の心に触れていると思っているのである。
by munojiya | 2007-03-26 00:52 | Trackback(1) | Comments(0)
慣れの問題
慣れてしまえば、それまでの自分の主張が簡単に変わってしまうことがよくある。
それまでの主張は単なる慣れと思い込みにすぎなかったということである。
庵主は、日本語の文章は縦書きでなくてはならないと思っている。
横書きの本を見るとうさんくさく思えるのはそのせいである。

商品のパンフレットを読んでいるようで中身がないのではないかと疑ってしまうのである。
それ以前の問題として、個人的理由であるが横書きの本が読めないのである。
長く縦書きに慣れ親しんだきたものだから横書きの長文は読みにくいことこの上ない。
そもそも漢字・ひらかな・カタカナといった文字のデザインが縦書き用なのである。

縦組用のものをただ横に組んだのではそのまま使えないということなのである。
それをむりに横組にするから文字を追っていると感覚的な不快感が募ってくるのである。
文章を読む前にその文字の不自然な並びを見ているだけで疲れてしまうのである。
と、なんだかんだと理屈をこねていながら庵主はワープロでは平気で横書きなのである。

ディスプレイでは、縦書きのほうがかえって読みにくい。
ということは、慣れの問題に屁理屈を付けているということである。
お酒の世界ではアル添酒の味に慣れてしまうと純米酒にたどり着けないことがある。
低い水準に馴染んでしまうと、うまいお酒の美しさに思いが至らなくなるからである。
by munojiya | 2007-03-25 00:15 | Trackback | Comments(0)
気分が悪くなる本
読んでいると、その内容ゆえに気分が悪くなってくる本がある。
いまそういう本を手にしているのである。
原田武夫著「仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理」である。
騙されていたということを教えられて不愉快な気分に襲われるからである。

気分が悪くなるといえば
庵主の場合はお酒を呑みすぎた時もそうである。
うまいお酒はつい呑みすぎてしまうのである。
酔いが回ってきたと気がついた時にはもう遅すぎる。

庵主の場合はまず肩凝りが始まるのである。
そして胃腑に吐き気を感じて不快感を催すようになるのは
お酒の見掛けのうまさに騙されて呑みすぎたからにほかならない。
アルコールは体に毒だということを教えられていなかったために気分が悪くなるのである。

お酒には純米酒とアルコール添加酒があることを知らない人の方が多いのではないか。
国策上それをはっきり教えることができないということから知らない国民が少なくない。
本物だと思っていたものがウソだったと教えられた時には気分が悪くなるものである。
騙されていたことに気が付かなかった自分の不甲斐なさがやりきれなくなるからである。
by munojiya | 2007-03-24 00:50 | Trackback | Comments(0)
酒を抜いた人
鴨志田穣(かもしだ・ゆたか)という人が42歳でなくなった(2007年3月20日逝去)。
ふつうならそんな歳で死ぬ年齢ではない。
腎臓癌だったという。
そういえば市川雷蔵も、夏目雅子も、癌で早逝している。

いい人から早く亡くなるという言葉があるが、
確かに、それでもなお生きている庵主を見ればそれは当たっているような気もする。
鴨志田穣は酒がやっと抜けたという矢先の死だったという。
「最後はお酒も抜けて、ホンマにええ人やった」といわれたアル中患者だったのである。

アルコール中毒はいまはアルコール依存症という。
よくいえば酒に惚れられた男だったのである。
常識でいえば寿命を縮める酒ならやめればいいのにと思うがそうはいかないのである。
そうは問屋がおろさないところが酒の情(じょう)が深いところなのである。

鴨志田穣はアルコール依存症から見事脱出したのだという。
そして脱出の記「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」という本を残したという。
同じ酒を呑んでいても、庵主のとは似て非なる酒の世界を読んでみようと思うのである。
庵主が呑んでいるお酒の世界は、その味わいと同様に甘くのどかなのである。
by munojiya | 2007-03-23 00:23 | Trackback | Comments(0)
今日より若い日はない
大沢悠里(おおさわ・ゆうり)を聞いている。
ラジオである、しかもあのTBSである。
毎日新聞系なので、TBSを朝鮮ブロードキャスティングステーションという人もいる。
それを東京文化放送制作部と呼んだリスナー(聴き手)の投書を聞いたことがある。

一時は、TBSの社員が痴漢をやる、タクシーの運転手をぶん殴る、
乱交パーティーをやっているといった事件が立て続けに報じられたものだから、
TIKANのT、BOURYOKUのB、SEX PARTYのSで
TBSなのかともじったのは庵主である。

大沢悠里を知っている人は自営業の人とか療養中の病人など
いわゆる会社勤めをしていない人たちである。
テレビのTBSと違ってラジオにはまだ矜持があるようである。
けっこういいことを言うのである。

「今日より若い日はない」と教えてくれたのがその大沢悠里である。
なるほど人間は過去の最高には戻れないのだから、今が最高だということである。
その伝でいえば、いま呑んでいるお酒が一番うまいということになる。
それは考え方一つでまずいお酒もうまくなるというオマジナイなのである。

*

なお、TBSの英文表示は
TOKYO BROADCASTING SYSTEM, INCORPORATEDです。
Sはステーションではなく、システムのSです。
念のため。

by munojiya | 2007-03-22 01:20 | Trackback | Comments(0)