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2018-07-31 イオンの怪挙「newバーリアル RT」
タイトルの字数の制約から「RT」としたが「リッチテイスト」のことである。
イオンのトップバリュの「バーリアル/リッチテイスト」がモデルチェンジしたのである。
イオンといえば、多くの人が騙されてしまうのが、おっとっと勘違いしてしまうのは、それは
「トップバリュー」ではなく、「トップバリュ」という商品名だという事である。

「トップパリュー」なら「最高級品質」という意味になるが、そうではなくて「トップバリュ」
というイオンの、ただのプライベートブランドの名称なのである。
そこに最高級とか高価値という意味合いはないのである。
トップバリュは製造会社の名称が表示されていないので、どこで作られた物か判らないのだ。

それで、製造会社名が書かれていない商品はチャイナ製か南鮮製と見做すのが買物の通である。
イオンのPBで「バーリアル」という「88ビール」がある。勿論本ビールである。
88ビールというのは、本体価格が88円で売られている缶ビールのことである。
庵主の造語である。「貧乏人の味方」という言い方もできるかもしれない。

「貧乏人」という言葉は自虐的な感じがするから「貧者の福音」と言い換えた方がいいか。
大して変わらないけれど。
以前の「バーリアル」は韓国産だったが、今度、それが国産の本ビールに変わったのだ。
しかも、売値が78円(勢抜)と安くなったのである。イオンの怪挙としか言い様がない。


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by munojiya | 2018-07-31 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2018-07-31 艦名がよく判らない新イージス艦「まや」
自衛艦には悪い因習がある。
艦名を平仮名で書くという悪習のことである。
「ふじ」という艦名を見てもそれが「富士」なのか、「藤」なのかが判らないのである。
日本の軍隊なのか、米軍協力隊なのかはっきりしない自衛隊ならではの風習なのかもしれない。

ちなみに、今、大企業では、「下請会社」のことを「協力会社」と呼んでいる。
その米軍「協力」隊という事である。
漢字で書いても正しく意味が伝わらないことがあるのに、平仮名で書かれたらお手上げである。
意味が判らないのである。「ふじ」も多分「富士」だろうが、「不二」かもしれないのである。

今度の艦名は難問である。
海上自衛隊の7隻目となるイージス艦(約8200トン)の進水式が[2018年7月]
30日、横浜市磯子区であり、「まや」と命名された。』(典拠)。
「まや」とは何か分かるだろうか。「破魔矢」というのがあるか。その「魔矢」かも。

敵にとっても悪魔のような軍艦だぞ、というわけである。
真矢ミキという女優がいるが、耳相からいってもまさかその「まや」ではないだろうが。
戦艦やまと、おっとっと大和には、お酒は「賀茂鶴」を積んでいたという。
「まや」にもお酒を積んでいたとして、それが「死神」なら新イージス艦に隙はないのである。

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「まや」は、「山」を引っくり返した符丁みたいである。
海自の歴代イージス艦は艦名に山の名前が付けられており、今回は神戸市の六甲山地にある
摩耶山から取られた。これまでの6隻のうち、4隻はすでにBMD能力を持つよう改修されて
おり、残る2隻も来年までに改修が終わる見込み。』(典拠)。

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by munojiya | 2018-07-31 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-07-31 外国人には座頭市がわかるのか
こういう映像がある。「映像」はクリックすると音が出るので、クリックするときはご注意を。
座頭市の近衛十四郎〈このえ・じゅうしろう〉である。
間違っても、市に斬られて殺される筈がない配役なのである。
殺せないゲストスターを、市はどうやって斬るのか。

シナリオライターはどうやってオチをつけるのか。引き分けにしたのでは市の格が下がる。
公儀の侍と盲の市の切り合いにどうやって結末を付けるのか。
その場面は、観客と映画作家の想像力の戦〈よみあ〉いである。
映画を観ている客が、監督の手の内を読み取る事ができるか。

はたまた、監督は客の想像を上回るオチにもっていくことができるか、である。
大映京都の映像は美しいのである。
場面は雪が降りしきる場景というのがミソである。
真っ白い雪の上に、侍の真っ赤な血筋が続いている。画面の外で侍はこと切れるのだろう。

その映像に付けられたコメントが英語で、総数1154件とある。2018年7月30日現在。
外国人に座頭市がわかるのだろうか。勝新は知っていても、近衛十四郎は知るまい。
お酒を呑んだ時に、「ああ、日本人に生まれてよかった」という感懐でいう「わかる」である。
お酒のうまさは、日本人でないと判らないだろうから、外国人のことなどどうでもいいけれど。

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例えば、大映映画の座頭市シリーズの一作であるこの映画は、英語のタイトルが
Zatoichi and the Chess Expert 1965』なのである。
座頭市シリーズの中では庵主が好きな一本である「座頭市地獄旅」である。第一作が白眉。
「地獄旅」という題名では、何本も観たあとではどんな筋だったのか思い出せないのである。

チェスエキスパートと一緒旅の映画だとあったら、成田三樹夫との決闘が浮かんでくる。
「将棋指し」を「チェスエキスパート」と訳したのは誤訳ではないが嘘訳であるものの、
映画の筋をよく押さえているので、英語のタイトルの方が原題よりいいのではないか。
そしてその英語のタイトルがいいところは、最後に公開年度が書かれていることである。

「1965」という年は、庵主のように古い人には記憶に残っている年なのである。
前年に東京オリンピックが開催された年だからである。
奇しくも、2020年の東京汚輪は、座頭市ではないが「地獄旅」になりそうである。
利権に聡いチョウセン人が日本人の名を騙って引っ張ってきた汚輪だからである。

東京の真夏に開催するという後先考えないで招致したというのだから、その選択はすでに
日本人の「お・も・て・な・し」の精神とはかけ離れたものだった事が判るのである。
今年(2018年7月)の炎暑を「週刊文春」は『殺人猛暑』と呼んでいるが、東京汚輪は
選手殺しの「殺人汚輪」となりそうなのである。庵主にはどうでもいいことではあるが。

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by munojiya | 2018-07-31 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2018-07-30 夜と朝の境界線
日本の一日は朝から始まるが、西洋のそれは前夜から始まるという論考を読んだことがある。
クリスマスはイブから始まるのである。日が沈んだら次の日が始まるのだ。
日本の場合、払暁から一日が始まるのである。夜明けとともに始まるのである。
じゃ、お正月はなぜ深夜の0時から始まるのか。紅白歌合戦がでっちあげたのだろうか。

お正月は、大晦日から一夜明けた朝から始まるものなのである。
それだから、明けましておめでとうなのである。
真夜中から新年を祝うのは馬鹿がやることなのである。神社の営業努力なのかもしれないが。
言うならば、それはフライングである。ズルである。朝起きてから新年を祝え、である。

では、夜と朝の区切りはどこにあるのか。庵主の場合はそれがはっきりしている。
即席ラーメンが、不味くて食えなくなる時が朝の始まりだ。食える内はまだ夜なのである。
庵主は即席ラーメンは夜でないと食べられない。これは体によくない食べ物だと判断するものか、
朝になったら体が受け付けなくなるのだ。気持悪くて食えなくなる。その麺も、そのスープも。

朝になったら喉を通らなくなるのである。朝からパンもダメだから庵主の体は古風なのである。
イチローは朝からカレーを食うというが、朝からカレーなんか食えないという人がいた。
酒呑みには、お酒を呑むのが躊躇われる時間になったら朝なのだろう。目黒考二は、編集の徹夜
明けに生ビールを飲む瞬間が朝だったという。庵主もそれで朝を迎えてみたいみたいものである。


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by munojiya | 2018-07-30 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-07-29 駄目デザインの実例
たぶん、そのデザイナーはまだ若い人なのだろう。
だから、それに気がつかないのである。
人は、齢をとるものだということを。
齢をとることを、芸能界用語では「劣化」と呼ぶ。

「目線」という言葉は、もともとは芸能界の業界用語である。
素人が使う言葉ではなかったが、いまでは素人がそれを使っている。
「劣化」も素人が使う言葉ではないだろうが、今では容貌が衰えた芸能人を指して、素人が
平気でそう呼ぶようになったのである。

では、駄目なデザインの実例である。
それを一目見て、このデザイナー(もしくは編集者)は馬鹿ではないかと思う人は年寄りだろう。
あるいは、若くても、失敗の経験を多く積んでいるデザイナーだろう。

庵主のように老人の域になると、この灰色の文字が薄くて読みにくいのである。
若い馬鹿なデザイナーがよくやりたがる色遣いがそれである。
グレーの文字で書かれた名刺を貰って苦笑する事がよくある。「影が薄い人なんですね」。
いわゆる三増酒も、その影が薄いお酒なのである。存在価値がないわけではないけれど。


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by munojiya | 2018-07-29 00:55 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2018-07-29 チャイナ語では「ぼったくり」を何と書くか
日本では、それを「手紙」と書くが、チャイナ語では「手紙」と書いたらトイレットペーバーの
事である。では、チャイナでは手紙の事はなんと言うのか。「信」というのである。
日本では温かい水を「湯」と呼ぶが、チャイナ語で「湯」といえぱ「スープ」の事である。
では、お湯は何というかというと、「開水」という。簡体字で「开水」と書くのである。

で、チャイナ語で「ぼったくり」は何と言うのかというと、「海南島」と書くらしい。
海南島の海鮮レストランなどで法外な値段を請求される問題が取り沙汰されてからすでに5年
以上経つ。その後、当局もぼったくりを撲滅する取り組みを進めてきたものの、依然として
「海南島=ぼったくり」というイメージを拭いきれていないようだ。』(典拠)。

拭い切れないイメージといえば、「韓国=唾入り料理」というのもある。
南鮮に行ってレストランに入ると、客が日本人だと判ったら間違いなくぼったくられるという。
加えて、ときによっては、出てくる料理には丁寧にツバをかけられているというのである。
チャイナ人も、ぼったくりの海南島に行くよりは、日本観光を選ぶのだという。

南鮮旅行に出かける日本人は、ぼったくりなんかにはめげない強い精神の持ち主なのだろう。
そういえば、「ぼったくり」は漢字でどう書くのかを知らない。
これからは「韓国式」とでも書けばいいのかもしれない。
今、オチで「ぼったくり酒」はないかと思い浮かべているが、思い当たらないのは幸いである。

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ちなみに、チャイナ国では、おむつの事を「佳子公主[かこさま]」と言うらしい。
『中国メディアは、中国のあるおむつメーカーが、「佳子公主」(佳子プリンセス)という名称
で商標登録していたことについて、日本から反発の声が上がったことを伝えている。』(典拠)。
そのセンスで「眞子公主」といったら、いや、その先は言うまい。


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by munojiya | 2018-07-29 00:43 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-07-29 今度の西日本の豪雨災害は人災だという噂
サーチナの指摘である。
先日[庵主補注:2018年7月に]発生した西日本の豪雨災害では甚大な被害を出した。
懸命な復旧作業が続くも、うだるような暑さが新たな問題を引き起こしつつある。今回の豪雨は、
日本の災害対策や防災意識にさまざまな問題を突き付けた。

中国メディア・東方網は[2018年7月]17日、「豪雨被害で、日本人の『素養』が明らか
になった」とする記事を掲載した。
記事は、「先日、日本では100年に1度の豪雨に見舞われ、200人以上の死者・行方不明者
を出す大災害になった。

日本は災害に対する防御力が極めて高い国というイメージがあることから、大雨によって
100人単位の人が亡くなるというのはいささか意外に思える」とした。』(典拠)。
「200人以上」の水害死亡者はチャイナ国ならどうってことない数字なのではないか。それを
ことさら大げさに書き立てるのは、チャイナ国内の当局に対する嫌味なのかもしれない。

今回の死者数の60%が山崩れによるものだという。そして、堤防が決壊して流されて死んだ人
も少なくなかったが、そっちの方はかつての民主党の予算ぶった切りが原因だという噂がある。
百年に一度の災害のための改修予算は無駄だと言ってぶった切ったのは山田蓮舫議員だったか。
お酒なら呑んだら終わりだが、政策は後日になってその失政のツケが回ってくるんだよ蓮舫さん。


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by munojiya | 2018-07-29 00:32 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-07-28 フォトショ
「フォトショ」という、座りの悪い言葉がある。
もともとは「フォトショップ」という商品名のデジタル画像処理ソフトのことで、それを使って
加工した画像のことを「フォトショ」と縮めていうようになったのである。
日本語でいえば「嘘画像」といったところか。

昔の写真は、いくらでも加工はできたのだが、それでも一応そこに写っているものは真実だと
思われていたのである。
しかし、今はデジタル画像となって、どこまで本当なのか判らなくなっている。
毎度のフォトショの実例がこれであるそこまでやるかというのもある。お見事というべきか。

しかし、そういう楽しいのばかりがフォトショではないのである。
こういう悪さをしたものもフォトショなのである。
中華民國の「喪失國籍許可償證書」である。
綾瀬はるかのフォトショは善意だが、こちらは悪意丸出しのフォトショなのである。

フォトショを進歩だというかどうかは別れるところだろうが、目に見えるものの信頼性を大きく
損なうことになったのは劣化といっても間違いではないだろう。
では、この写真は(音有注意)フォトショかどうかを判断できるだろうか。
一方、これはフォトショではないのである。本当にあるお酒である。しかも裏もあるのだ。

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はてさて、写真週刊誌「フラッシュ」が「佳子内親王」だというこの写真の人は誰なのか。
これは本当に佳子内親王なのか。
「嘘」は「フォールス」というが、「フラッシュ」という言葉にもその意味があったっけ。
大体、皇族が人前でジーパンを履いて歩くか、ということである。

フォトショ以前に、カメラマンにセンス(常識のことですよ)が欠けているのである。
画像を加工する以前に、その画像自体が贋物なのである。
いや、逆か。カメラマンはセンスがよすぎるのである。
フォトショの手間を掛けることなく、最初から偽写真を用意したというわけである。

絶対これ佳子さまじゃないよね
なんかゴツいぞ』(典拠米)。
「ゴツい」というよりも、「肥〈ふと〉い」といった感じである。
本人は、もっと華奢な体つきじゃなかったか。本物を見たことがないからよく知らないけれど。

本当の旨いお酒を呑んだことがないと、今呑んでいるお酒が、旨いのか、そうでないのかが、
判断できないようなものである。本物を知らないと、見聞きした範囲でしか判断できないから、
そのお酒が「うまい」という評判を聞いても、果たして本当に旨いのかどうかが判断できない
のである。お酒は本当に旨い物を呑む事である。そういうお酒に出合えればの事であるが。

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by munojiya | 2018-07-28 00:04 | Trackback | Comments(0)
2018-07-28 「凝ってますね」は癒しの言葉
「凝ってますね」といっても、手が込んでいるとか、すっかりハマっているという意味ではない。
肩や体の筋肉のことである。
マッサージに行くと、マッサージ師がまずいう言葉がそれだというのである。
しかし、それは本当に凝っているのか、ということである。

ぼくは指圧の治療院で働いているが「他のマッサージ店で“信じられないほどこっている”
っていわれています」なんていうお客さんはとても多い。
でも「信じられないほどこっている」といわれている人の身体を指圧してみると、それほどでも
ないこともよくあるのだ。』(典拠)。

本当はそれほど凝っていない患者(とは言わないか。被施術者か)にもそれを言うのか。
それは被施術者(お客さん、でいいのか)の癒しのためだなのだという。
易者が、客に「悩み事がありますね」と言うようなものだという。
悩み事や心配事がなければ、易者に観てほしいとは思わないものだからである。

マッサージも、易者も、客の気持に共鳴してあげることで癒しになるのである。
指圧や売卜〈ばいぼく〉は見掛けであり、いずれも癒しを売るのが商売の核心なのである。
お酒も、酔っぱらうというのは見掛けで、核心は癒しなのである。
身を癒し、心を癒すものというのがお酒の効用の核心なのである。呑み過ぎると毒ではあるが。

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大前提として、そもそもお客さんは自分自身が「こっている」と考えているからマッサージ店
に来ている。
そこでマッサージ師が「それほどでもないですよ」なんていったとしよう。お客さんは
「マッサージ店に来たという意思決定」を否定されたような気になるだろう。

疲労を感じているところに否定が加わると……苦痛はかなりのものだ。その後に続く施術も、
なんとなく不信感をもったままになってしまう。マッサージでとれたかもしれない疲労感も
とれず、なにしに来たのだかわからない。
逆に「こってますね」と言葉をかけることは癒しになる。』(典拠)というのである。


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by munojiya | 2018-07-28 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-07-27 「言葉にする前のそのまま」という絵
絵を観ることができる幸せというのがある。
旨いお酒が呑める僥倖にはかなわないだろうが。
絵は、あとからでも観ることができるが、
しかし、お酒は、旨いお酒は人に呑まれてしまったら二度と出合えないのである。-

「言葉にする前のそのまま」と題された絵がある
庵主が題を付けたら「若い女の肌のもちもち」とやっちゃうところである。
時代劇映画では、廊下の板をぴかぴかに光らせるという描写がある。光で人の心を誑かすのだ。
「言葉にする前のそのまま」の女の子の肌もピカピカに光っているのである。いや、輝いている。

昔の絵は、人目から隠されるものだった。日本画には「目垢がつく」という言葉さえもある。
現物が存在しても容易に観ることができないのだから、隠されているのも同然だったのである。
今は、ネットで絵柄だけは観る事ができるようになったが、全ての作品がアップロードされて
いるわけではない。

庵主は、著作権を主張するなら、その権利を保証する見返りとして、その作品を登録した上で
年間いくばくかの登録税を支払えというのである。さらに、その作品から利益が得られた場合は
利益の1%を納入せよというのである。たれが著作権者か判らないものを保護できるか、である。
お酒はどんな旨いお酒でもどんどん呑まれてなくなっていくから、そんな制度は必要なけれど。

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補遺
記者による三重野慶画伯のインタビューで、2018年7月の西日本豪雨災害の話になって、
--広島の呉市にお住まいとお聞きしましたが、先日の西日本を中心とした豪雨をご経験
されたかと思います。当時の被害状況や周辺の様子はどうだったのでしょうか?

三重野:あのとき自宅にいたのですが、あれよあれよという間に大雨が降って、あとから街に
出てみると大変な状況になっていました。当時は災害を知らせるスマホのアラームがずっと
鳴りっぱなしで恐怖を感じたと記憶しています。私の自宅の方はそこまで酷い状況では
ありませんでしたが、停電になったり断水したりという直接的な影響がありました。

でも、テレビなどでは報道されなかった、瀬戸内海の小さな離島で被害が大きかったところが
数多くあったことは、ここでお伝えしたいと思います。報道のカメラが行かない(行けない)
ところこそ被害が大きい、ということを今回の豪雨で実感しました。』(典拠)。
知らないという事の、なんと幸せなことか。美しい絵も識らず、旨いお酒も知らずは別として。

知らないことで、それに心を痛める必要がないので、心の平安が保たれるからである。
もっとも他人の心配をしすぎることもないのである。所詮は他人なのだから、その身はその人が
一に管理するものであって、他人がごちゃごちゃ口出しすることではないのである。
悪い意味ではなく「自業自得」の精神で乗り切っていくしかないからである。

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by munojiya | 2018-07-27 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)