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橋下はこれ[大阪都構想]が失敗したら引退すると強調して
同情票によって賛成票を増やそうとしていますが、
失敗したところでなんだかんだ言い訳を付けて
今度は国政進出を目指すかもしれません。

ただ、笑ってしまうのは江田憲司です。
今回の投票で負けたら橋下は完全に引退すると吹聴しています。
これは橋下さえいなくなれば維新の党を完全に乗っ取ることができるためであって
今までも維新の党を乗っ取るためにいろいろやってきた事からも間違いないでしょう。

渡辺喜美も橋下徹もなぜ江田憲司が明らかに隠し事があるだろう事に気付かなかったのか。
欲の皮が突っ張ってるとそういうのが見抜けないんでしょうね。
一般人なら江田憲司の頭を見て一発で見抜くでしょうに……。
(ヒント:翁長)
』(典拠)。江田憲司の顔は橋下徹のお兄さん顔に見える。

>(ヒント:翁長)<
二人とも頭がオカシイってことですね。
』(同米)。
頭の中身は見えないから、頭の外見という意味なのだろう。
お酒も、瓶の様子を見たら外見で中身のうまいまずいが判ればいいのだが。
# by munojiya | 2015-05-20 00:03 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
人の振り見て、我が振り直せ。
〈かんとく〉の振り(演出)を見て、我が振り(振る舞い)を直せ、である。
庵主は、映画を見ても、ストーリーすら判らない事があるぐらいだから、全然気にならないが、
繊細な人はちゃんとその監督の正体まで見抜いてしまうようである。裏まで見えるのだ。

是枝裕和監督といえば、「歩いても歩いても」とか「そして父になる」を撮った監督である。
庵主の定番監督である。新作が出たら必ず観に行くという意味である。
その最新作である「海街diary」にとんでもない演出があったというのである。
長沢まさみに、ちゃぶ台の前で立膝で食事をさせたというのである。

立膝で食事をするのは朝鮮の文化であって、日本のそれではないという指摘である。
この監督は、ちょっと日本人離れしているのではないのかという洞察があった
監督の顔(同サイト内の顔写真)を改めて見てみると、なるほどと納得したくなるから困る。
先入観で見れば、安い焼酎が入っていても「森伊蔵」の瓶から注がれた焼酎はうまいのである。

庵主の観察力は、映画の画面をしっかり見ていても、そbに何が映っているか判らないほど
だから、そういう庵主が言うことを真に受けてはならない。
豊川悦司とか細木数子なら、顔を見ればその血は争えないが、是枝監督の顔の場合は観相者の
経験と洞察力が試されそうである。映画作りが上手だから、やっぱりそうなのかもしれない。

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芸能界というのは、ネットによると、人気のある主な所はみんな朝鮮人だということになって
いるから、そうであっても、どーってことはないのである。
芸能界は在日社会だといわれているのである。ソレらが群れているというわけである。
その中の美的でない部分は真似をしなければいいだけの事である。

金物の食器(器に趣がない。壊れないという反論もある)、
金属の箸(重すぎてダサい。菌が繁殖しないという反論もある)、
鍋で料理を食べる(はしたない。便利じゃないかという反論もある)、
そして犬食い(みっともない。半万年の伝統だという)とかは日本人には馴染まないのだから。

いちいち何かに関連付けて、疲れない?』(同米)。
世の中には、映画の画面の隅々までしっかり観ている人がいるのである。
庵主などは、画面の中のポスターの絵柄までは見ていないというのに。
この演出に関しては、監督は日本人の生活を知らないということなのである。ただそれだけ。

そりゃ疲れますよ~。いちいちいちいち事あるごと日本ではありえない所作を見せられたら。
[中略]隣国では礼儀と言われている所作を日本人にやらせる不自然さを平気で画像で流す
昨今、目につかないと言ったらウソになります。
』(同米)。
監督も、そして「父」になったのだろう。本性に目覚めたというわけである。落ち着く所に。

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こんばんは。
食事中ではないけれど、小さい頃 立膝で座ってたら『女の子が はしたない座り方しちゃ
いけません』と厳しく叱られました。
娘の格好見て笑顔の母親…ありえませんね。
』(典拠米)。

日本人は、これ程下品ではありません。在日監督に作らせるとこうなるんでは? NHKも
酷いし。
』(同前米)。
しかし、役者も役者ですよ。本当に下劣人種。』(同前米)。
ネットで言われているように、みんな、同じ仲間なのかもしれない。異文化人だったりして。

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我が家で、以前次男がお茶碗を持たずにご飯を食べ、注意しても直そうとしませんでした。
見ていた長男が、「お前は今日から名誉朝鮮人だ」と言ったら、一発で直りました。
是枝監督にも、名誉朝鮮人の称号を送りたいと思います。
』(同前米)。
そうか、是枝監督は名誉朝鮮人と呼べばいいのか。

名誉朝鮮人にされて名誉棄損の裁判を起こした人がいたのを思い出した。
この監督の、「歩いても歩いても」っていう映画が大好きで、この監督にも好感を持ってた
んです。
[庵主も一言:その映画の何がいいかといって、その音録りがいいのである]
でも、この立て膝には違和感を感じます。

そう言えば、「歩いても歩いても」にも、パチンコをするとスカッとする、という台詞があり、
その部分だけ、残念な心持ちになりましたっけ。
いち作品中に、必ず そういうモノを入れる、なんていう条件でもあるんかいな?
ナンテ疑っちゃう。
[数多い実例があるから、本当にそういう事をやっているかもしれない]

ホントに些細な事かも知れないけど、いわゆる従軍慰安婦でこりごりですもんね。』(同前米)。
犬や猫の躾けがそれらしい。
粗相をしたその時に、二度と同じことをしない様にきつく叱って躾けるのだという。
あとからその非を説いても、犬猫には分からないからだという。

# by munojiya | 2015-05-20 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
このつぶやきが可笑しい。日本の朝鮮に対する「植民地政策」についてである。
『[日本は]列強とは正反対のことをしたのに何で朝鮮はあんなになったですかね~?
不思議だしとても悲しい……
』(典拠米)。
サヨクや、韓国がいう「日本の植民地支配」というのは言葉が間違っているというのである。

植民地というのは、外国人から現地で収奪することである。今は金融操作で収奪する。
日本の海外進出(侵略ともいう)は、現地に大金を投じる国造りで、収支決算は大赤字なのだ。
収奪しないそれを「植民地」と呼んだのでは、植民地の概念を逸脱しているという主張である。
酒税法では、純米酒に醸造アルコールを混ぜたものをもお酒と呼んでいいことになっている。

真っ当な言葉遣いをする人は、醸造アルコールを混ぜた酒はリキュールだろうと苦笑するのだ。
本醸造酒のように、添加した、というか、混ぜた醸造アルコールの量がまだしもの量(原料の
白米重量の10%以下という制約がある)ならともかく、三増酒のように、添加した量の方が
多いとなったら、それを同じ「お酒」という概念で括るのは無理があるだろう。

三増酒というのは、現在はその名称で造られていないものの、その三増酒においては、上限で、
全体の65%までの添加が認められていた。
そういう酒は、日本酒テイスト清酒とでも呼ぶしかないのだろう。
で、冒頭のつぶやきの答であるが、「それは資質である」としかいいようがないのである。

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これは正しい「植民地」の概念の実例である。
アメリカは日本を植民地にすることも出来たが
その代わりにちょっとアメリカの言い分を強制しただけにした
現在の日本と韓国は実質的にアメリカの植民地だ
』(典拠1:23)。

利益至上主義の経営とか、あるいは安い外国製品の輸入急増で、アメリカの製造業はこわれ
てしまった。それでアメリカ経済を破壊した、米国経済の支配者は、日本をもっともっと収奪
することで、おのれらのあざとい利益を確保しようと躍起になった。そのジャパンハンドラー
の手下が日本のマスコミだ。
』(典拠)という仕組になっているというのである。

# by munojiya | 2015-05-19 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
ブルーボトルコーヒー、というコーヒー店があるらしい。
庵主も、噂を聞いているから、けっこう有名なコーヒーショップなのだろう。
アメリカのお店で、先ほど日本に侵略してきた、おっと、上陸してきた、いや、違うか、進出
してきたという事で評判になっていたが、どこまでニュースで、どこからステマか判らない。

今度は、その侵略店、おっとっと、進出店に全然客が入っていないと話題になっている。
庵主は、お酒にしても、ビールにしても、ウイスキーにしても、酸味がうまくないとおいしく
ないと思っているが、そのお店のコーヒーは酸味がよく出ているのだという。
なのに、人気がないのである。さて、さて、そのお店の酸味というのはいかなるものなのか。

庵主は、コーヒーにも、苦みよりも、酸味のうまさを期待するのだが、そのお店の酸味は、
なんでも豆を浅煎りにしたものだから、味わいのある酸味ではなく、頼りない酸味らしい。
庵主は、あまりコーヒーを飲まないので、その辺の事情は受け売りにするしかないのである。
そんなわけで出てきたのが「意識高い系」をもじった「敷居高い系」と言い方である。

客が入らないお店を「敷居高い系」と呼ぶらしい。いや、それはブルーボトルコーヒー専用の
形容詞かもしれない。「まずい」の代名詞なのかも。「名前はまなえ」という駄洒落もあった。
日本語の駄洒落には「談志が死んだ」という回文系の駄洒落もある。
「薬はリスク」、「ダムは無駄」、「ニダはダニ」となるのである。

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コーヒーも奥が深いらしい。
気にしなければ、どんなコーヒーでも庵主にはみんな似たように思えるが、知識が増えると
まずいコーヒーが飲めなくなるのである。お酒もそうだが知らない方が幸せなのかもしれない。
>深煎りで苦いヤツがいいです。<

ドイツのコーヒーってそんな感じ。
エスプレッソとはまた違った感じで寝起きに良いっす。
デミタスじゃないし。
某イタリアンがやってるワインバーは死んだエスプレッソ出しやがって許せない。

一緒に頼んだアフォガードは、豆が新しかったから良いけど。
捨てろよ。一杯目。グラインダーの豆が死んでるし、ポルタフィルターが冷えてるから。
ビル建て替えで無くなったイタリアン(通り二本ぐらい離れる感じ。)は、ランチの
エスプレッソでさえ、一杯目は捨ててたのに。ちゃんと教育しろよ。

下手糞なねーちゃんなら全自動で良いよ。豆さえ良ければ。
』(典拠米)。
下手な人が淹れたコーヒーよりも、機械で淹れた方がうまいらしい。
素材がいいものを使えば料理が下手でも素材の味わいでそこそこにうまいように、コーヒーも
要するに豆がよければそこそこに飲めるという事らしい。いい豆を使うことが全てなのである。

# by munojiya | 2015-05-19 00:03 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)

2015-05-18 自然の摂理

蟻の社会では、人間ではない蟻の集団を「社会」と呼んでいいのかどうかは、ここでは置いて
おくが、蟻の集団では、真っ当に働いているのは、実は2割程度の蟻だけなのだという。
あとの8割は、忙しそうに見えるが、遊んで暮らしている。
人間世界で言えば、2割が「エリート」ということになる。

でも、それは、視点を変えて見れば、2割は奴隷だということではないのか。
エリートと呼ばれておだてられている人達は、実は世の中を支えさせられている奴隷なのだ。
「君達は優秀な人達だ」、「能力のある人達だ」と言われると、人は自惚れてしまうのである。
寝ないで仕事をするようになるのである。

8割の人は、そういうエリートの仕事のおこぼれに与〈あずか〉って生きているのである。
ありがたいことである。
お酒なんか、その極端な例で、お酒を造る奴隷は極少数の人に振りあてられているのである。
庵主は、お酒の世界なら貴族である。遊んで(酒を造ることなく)それを楽しんでいるのだ。

不思議なことに、蟻の集団で、エリートの2割を隔離すると、なぜか、残りのなまけ蟻の中に
2割のエリートが発生するというのである。黙っていてもエリートが出てくるのである。
それを自然の摂理という。馬鹿と呼ばれたり、気違いといわれる人の出現率もそれである。
嘘付きが嫌われるのは自然の道理ではないか』(典拠)。それもまた摂理なのではないか。

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日本人は嘘を否定的に見るのである。嘘をつく自分を恥じる。マジメ人〈じん〉なのである。
一方、シナ人とか、チョウセン人は、嘘には肯定的で、それを恥とは思わない文化なのだ。
いくら「多文化共生」といわれても、そういう両者が共生できるわけがないではないか。
そして、ウソツキ人もまた自然の摂理で出現する奇胎(できそこないという意)なのだろう。

自然の摂理故にそれを否定はできないものの、できれば避けて通りたいものの事である。
反面教師としたいものの事である。ああはなりたくないという目に見える具体例の事である。
それがあることで、自分の立ち位置が分かるから、それは、生きる時の目印なのである。
それから離れている事で、自分が真っ当に生きている証明になる安心感のことである。

それは、「リトマス紙」とも呼ばれている。
都構想はキチガイを見分けるリトマス試験紙だな。』。
大阪市の都構想の賛成派にはキチガイが結集しているというのである。
旗幟鮮明というが、俺はキチガイだという人達が「鮮」明になるのが都構想らしい。

日本の経済と雇用を滅茶苦茶にした竹中が橋下の後ろ盾なのに、何で騙されちゃう奴がいる
んだろう。公務員を減らすとか餌にしてさ。郵政民営化の餌に飛びついて、規制緩和で悪夢
見て苦しんでるのに、なんでまたやるんかね。
派遣で苦しんで家族も作れない若者が、その元凶に投票するって自虐もいいとこだろ。
』。

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あなたもチョウセン人になれる。
「恩」は忘れるのだという。
そして、「差別」と「嫉妬」を連呼するのだという。
それで、いっぱしのチョウセン人になれるというのである。嫌われる様になるという事である。

政治家の仕事は、利害関係の調整だ。ハシゲとかアベシンゾーみたいな政治家は、利害関係
もへったくれもなく、自分の手に利権を握ろうと欲深い行動に走る。調整のできない政治家は、
いっとき、アメリカに持ち上げられてゴリ押し政治をやっても、その後に大きな揺り返しを
産む。まあ、そろそろ潮流が変わる時期です。
』。それが期待か洞察かは判らないが。

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速報である。『「大阪都構想」否決 橋下氏、政界引退を表明
共同通信 2015年5月17日 20時44分 (2015年5月18日 02時21分 更新)
大阪市を廃止し、五つの特別区を新設する「大阪都構想」への賛否を問う住民投票が17日投
開票され、反対70万5585票、賛成69万4844票のわずか1万741票差で否決された。

大阪維新の会代表の橋下徹市長は市内で記者会見し、12月までの市長任期を全うした上で
政界を引退する意向をあらためて表明した。

維新の党の江田憲司代表ら執行部も18日未明、総退陣を表明した。野党再編や、維新の党との
連携を見据えていた安倍晋三首相の改憲戦略にも影響しそうだ。

投票率は66・83%で、大阪府知事選とのダブル選となった2011年の市長選の
60・92%を5・91ポイント上回った。
』(典拠)。
なんなんだ、この結果は、である。
大阪市にはキチガイ派が69万人もいるということなのか、

はたまた、リトマス試験紙がおかしいのか。
大阪市には、そこに住んでいても住民意識のない人が34%もいるということなのか。
それを日本国籍を持っていても、日本に親近感を感じない人達の群れと見ていいのか。
否、橋下達に騙されない人達が70万人もいると見るべきか。目明き千人盲千人も摂理なのか。

# by munojiya | 2015-05-18 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya