2018-05-15 宇野正美先生異聞
宇野正美先生の近況はこうだという
当ブログは日本酒の旨さを愛でるブログであるが、同時に駄洒落ブログなのである。
ブログをやっている目的は、庵主のボケ防止である。
宇野正美先生は庵主の駄洒落の師なのである。

どこまで本当なのか、どこから嘘なのかが判らない話が面白いのである。
お酒に純米酒とアル添酒とがある。
本来の日本酒は純米酒である。米からお酒〈アルコール〉を造るのである。
アル添酒は日本酒に醸造アルコールを混ぜたものである。

生産量の9割弱の日本酒にはアルコールが混ぜられているから有害だと言う人がいる。
それは多分、純米酒に混ぜるアルコールを石油から作った合成アルコールだと誤解しているから
なのだろう。アル添酒で使っているのは穀物等を醱酵させた作ったアルコールなのである。
基本的には米から造ったお酒と同じものである。合成でないという事で醸造アルコールと呼ぶ。

宇野先生の駄洒落はこういう塩梅である。
「正露丸という薬がある。あれは昔は征露丸と書いた。ロシアを征服するぞという意味だ。
金正日の名前も本当は金征日である。この子が日本を征服するぞという期待を込めて金日成が
付けた名前である」。その周辺では金正恩は横田めぐみちゃんの子供という事になっているのだ。

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種子法の廃止、農業競争力支援法と種苗法の制度変更は経済植民地化TPP第18章知的財産権
保護の章の実現そのものです。
企業の利益の為に、農家が古来、代を繋いで必死に守ってきた種子を少し残しての翌年作付け
する権利まで奪われるとは絶対に許してはならない。

元農林水産大臣 山田正彦 2018-05-09 07:04:56』(典拠米6)。
この書き込みは本当に山田正彦元農水相が書いたものなのだろうか。
肩書が書いてあるのだからそれを本物と推定するのが活字信仰の徒である庵主の判断なのである。
もし本物の山田正彦氏のコメントなら見直しちゃうのである。

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補遺『日本では野菜の種子等が自家採種できなくなることになりそうです
お願いです。大変なことになりそうなので、是非シェア拡散して頂けませんか。
種子法が廃止されても、種苗法があるから大丈夫だと政府は説明しましたが、その種苗法21条
で知らない間に制度の改正が大幅になされていました。

同法では自家採種を自家増殖と記しているものの、原則自由で、これ迄私は例外としては2項に
ある育種権者、企業等との契約の場合だけだと思っていましたた。
ところが同条3項には、農水省の省令だけで、国会の審議も無しに、自家採種を禁止することが
できることが、記されています。

これ迄も省令で、花とかキノコ等育種登録された82種類の種子に限って自家採種は禁止されて
いましたが、今回はトマト、茄子、ブロッコリー、キャベツ等209種類が追加されたのです。
農水省の審議会種苗分科会で、政府はUPOV条約により、自家採種を続けることで、登録され
た種子が劣化するのをこ防ぐためにも、今後も対象を拡大すると。

農業競争力支援法(8条4項)では農研機構(独)、都道府県のあらゆる種子の育種知見を売国
企業住友化学(極悪モンサントと提携)、世界No.1極悪企業モンサント(ベトナム戦争時
枯葉剤を開発、世界の90%の遺伝子組換え作物(悪性腫瘍や不妊の原因)を生産、インドの
農家をラウンドアップで徹底的に破壊、ヨーロッパで撤退)等に提供することになっています。

そうなれば、彼らは次々に育種登録して、日本の農家は野菜、果物等でも自家採種、交換も禁止、
その育種権者の保護は加工品にも及ぶことになっています。
UPOV条約でも各締約国は合理的な範囲内で育種権者の権利の保護は、制限できるとなって
いるのに。

かつ、日本も批准している食料、植物遺伝資源条約では農家の自家採種を農民の権利として認め、
種子に関しては、農民に意思決定の権利が、あるとしています。
何と種苗法に違反したら、10年以下の懲役、千万円以下の罰金と厳しい定めが、しかも共謀罪
の対象にもなっています。

元農林水産大臣 山田正彦2018-05-09 07:02:30』(典拠米5)。
その裏では子鼠(小泉進次郎議氏の事)が暗躍しているというのである。
馬脚を現してきたと見る向きもある。
余談だが、元農水相の文章は当ブログの文体〈息)に合致しているので綺麗に収まるのである。

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# by munojiya | 2018-05-15 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-05-15 【手品】「専門家のための4枚のA」
まずはこの手品を見てみることである。
アマチュアマジシャンの不幸は、身近にこうやって手品を見せてくれる人がいないことだった。
まだ見たことがない、知らない手品を知る方法は本を読んで知るしかなかったのである。
それが手品の種明かしの本なのである。

それでどうなるかというと、種が先に分かってしまうものだから、その手品がどれだけ不思議に
見えるかを知らないで手品を覚えてしまうということになるのである。
つまり、理屈だけ知っているが、その本当の楽しみを知らないで手品を演じかねないということ
なのである。手品を観念的に演じるようになるのである。

手品のクリエーターなら種をたくさん知っていた方がいいのかもしれないが、庵主のように手品
の不思議を味わいたいと思っている分には種明かしの本はそういう意味で迷惑な本なのである。
手品の種なんかどうでもいい、と庵主がいうのはそういうことである。
先に種を知ってしまったら、手品の一番おいしい部分である不思議さが味わえなくなるから。

沢山、色々なお酒を呑んでくると、種(造り)を知ってくるものだから、呑む前から味が想像
できてしまうのである。庵主が、造りなんかどうでもいいので、呑んだときにうまければいい
というのは種よりも、おいしさ(意外性)を味わいたいからなのである。冒頭のような銘酒を
味わうと、もう種なんか知りたいと思わなくなるのである。不思議のまま死にたいのである。

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「専門家のための4枚のA」と題された、庵主には不思議でならないトランプ手品である。。
業界用語ではトランプ手品のことをカードマジックという。
手品業界は英語が圧倒する世界だから、術語は殆ど英語である。
「パーム」という。「シャフル」という。「ダフルリフト」という。以下、等々である。

「掌中隠し」、「切り混ぜ」、「二枚めくり」と言っても、却って分からないからである。
ならば「カット」はなんと言い換えればいいか。
「カット」というのは一組のトランプの上半分と下半分を重ね変えることである。「切り返し」
とでも言えないことはないが、何を言っているのか分からない事には変わりはないのである。

手品業界では「4A」と書いて「ファアエーセス」と読む。
「よんえー」と読んだら、却って分からないのである。
カードマジックの「4A」は術語だから、「よんえー」とは読まないけれど。
「4A」というのは4枚のエースを使った花形手品のことである。

スターの揃い踏みみたいな手品なのである。カードマジックに華を添える手品で、最初から4枚
のエースを登場させる手順を「エースオープナー」と呼んでいる。さあ、手品のはじまりである。
さて、「専門家」とはどっちの方を言っているのだろうか。手品をやる専門家のことなのか。
手品を見る専門家〈マニア〉のことなのか。案外、手品中毒者という意味なのかもしれないが。

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「ありがたい」と思うのは、まだ庵主が知らない、まだ見たことがない手品を見せてくれる人の
ことである。
庵主には、新しい不思議を創造する才能がない。器用にそれを演じる能力もないからである。
「一人相撲」とか「独りよがり」という言葉があるが、それは手品にも当てはまるのである。

手品だけはひとりでやっても面白くないのである。独りで楽しむ事も可能な趣味ではあるが。
「矛盾」という。手品はひとりではできない。それが成就するためには最低二人必要なのである。
不思議を演じることと、その不思議を楽しむことは同じ人にはできない事だからである。
演じる方になるか、楽しむ方になるか。庵主は躊躇わず楽しむ方を選ぶのである。

手品業界は分業制なのである。分業というより、重層構造といったほうがいいのか。
ルイス・ギャンソによる(解説者である。語る人だ)
サイ・エンドフィードの(改良する人である。演〈や〉る人である)。
コリンズ・エーセス(創案者である。スタンレイ・コリンズの事だ)、となるのである。

そして、庵主がその「専門家のための4枚のA」を見て、不思議さを堪能して初めてその手品は
成就するのである。お酒同様、それを味わう人がいて完成する、いや成就する世界なのである。
今までは、世に手品というものがあっても、それを見ることができなかったが、ネット社会に
なって初めて手品を見ることができる環境が出来上がったのである。ありがたいことである。

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# by munojiya | 2018-05-15 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2018-05-14 狼老人、おっと、狼おじさん
「狼少年」という言葉がある。
ケンのことではない。
「狼が来るぞ」という嘘をついて村人が驚くのを見て喜ぶ嘘つき少年のことである。
その嘘を何度も繰り返す少年のことである。“昔から”、ずっとそうだからである。

庵主は、宮崎正弘先生を親しみを込めて「狼老人」と、おっと「狼おじさん」と呼んでいる。
口癖が「中国は崩壊する」だからである。
中国ってなかなか崩壊しないねぇ~なぜだろ?』(典拠米)。
狼少年は、良く言えば、村人が喜ぶ事が何であるかを知っている賢い少年なのだ。

世に評論家という言葉があるが、ルビはなべて「おおかみしょうねん」でいいのだろう。
野球の優勝チームの予想が全然当たらない野球評論家とか、馬券の予想が外れてばかりの競馬
評論家とか、枚挙に暇がない。というか、良く臆面もなくそんな嘘を言えるものだと感心する。
虚言癖の美名が「評論家」なのだろう。

だからといって、庵主は評論家を馬鹿にしているのではない。
その人達は読者が喜ぶものが何であるかを知っててそれを楽しませくれるのだから。
真実は、実は自分の側にあるのに、人はつい他人の側〈ことば〉にあるのだと思ってしまうのだ。
それを虚〈きょ〉という。お酒の美味さはアルコールにあるのだと思ってしまうように、である。

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最後の連は、行数を合わせるために端折ってしまった。
それでは何を言ってるのか判らないのである。
補足である。
人は、自分より賢そうに見える人の言葉を信用したくなるのである。

年長の人のもっともらしい言葉であったり、学者先生の真実を知っているように思える言葉で
あったり、ジャーナリストの事実を見てきたような言葉であったり、である。
しかし、それらの他人の言葉を消し去っても、自分は残っているのである。
それらの言葉はなくても同じだという事で、虚なのである。

世に、数多くの映画が作られているが、世の中にはそんなものを最近何十年も見た事がないと
いう人がいるのである。それが仕事が忙しい実業家だったりするのだ。
映画は虚なのである。あんなものはなくてもいいものだからである。あった方が楽しいが。
お酒の美味さはアルコールにあると思ってしまうのもそれに似ている。

お酒はたしかにアルコールだが、アルコールが旨いのではない。
甲類焼酎は混じり気の少ないきれいなアルコールだが、そんなものを飲んでもうまくないのだ。
お酒の旨さはアルコールに乗っている、という浮かんでいる雑味の妙〈ハーモニー〉にあるのだ。
ただその妙はアルコールという乗り物がないと味わえないという事なのである。

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# by munojiya | 2018-05-14 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-05-14 BM伝「YUIMETALの耳」
久しぶりにBMの動画を見たら、話題は「結いメタル」のBMからの脱退ネタだった。
ユイもモアもいまではすっかり大きくなってしまった。
そして綺麗になっていたのである。
この子はユイちゃんだろう。庵主は黙ってその耳を見るのである

たぬきみたいな顔をしたのが結いメタルである。
可愛くない瞬間がないもんね』(同前米)。
MOAも同じく可愛いし、Suも綺麗だし、どうなってんだこの三人』(同前米)。
そして、きつねみたいな顔をしているのがモアメタルだというのが見分け方である。

「ROR」も久しぶりに聴いたが、演奏も歌も角がとれて丸くなっていた。
昔の粗削りなところがなくなって、すっかり洗練されてきたといえばいいのか。
いよいよ完成形になってきたという事なのか。
お酒でも、完成されて文句を言うところがなくなったらさびしくなったという事がある。

綺麗になっていいお酒を呑んでいる事は分かるのだが、以前の不確かな、それでいてなぜか心が
惹きつけられるような、まだ発展途上といった時分の味わいが懐かしくなってくるのである。
そういうのを老境というのだろう。齢をとったという事なのだろう。いや、齢をとるという事は。
そしてその間にいらない事を知って、人は心が汚〈よご〉れていくのだ。それを老化というのか。


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# by munojiya | 2018-05-14 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2018-05-13 日本人がタトゥーを嫌う理由
いまは、それをタトゥーと呼ぶのである。
入れ墨の事である。
入れ墨という言葉を嫌う人達もいる。
これは刺青〈ほりもの〉だというのである。

ネットでは「死ね」と書くときに「タヒね」と書く人がいる。よく見かけるのである。
なので、庵主は「タトゥー」と見ると、ついそれかと思ってしまう。
「タト」なら「外」なので、つい「外道」と読んでしまうのである。
入れ墨は外道のやることだからである。

ヤクザが高級な腕時計をしているのには理由があるのだという。
伊達や見栄で高い腕時計をしているのではないという。
いざ逃走というときになったら、それを売って逃走資金にするためなのだと。
実はヤクザの入れ墨、おっと刺青も実用のために彫るのだという。

基本、近代の入れ墨はヤクザ屋さんの方がしているのが多い。やくざ同士の抗争が激しくなり、
命のやり取りにまで発展したときに顔が潰されても、入れ墨の柄で誰が殺されたのが判るという
のが有る。』(典拠米)。
ヤクザが高いお酒を好むのは、うまいからというよりは見栄とかっこ付けなのだろう。

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でも最近は在日朝鮮人の徴兵逃れで入れ墨を入れてる方が多い。
故に関わりたくないと思う方が多いという悲しい事実。』(典拠米)。
現在の日本でも変わらない事実は、生命保険の契約ができない事。
生保会社の判断では、タトゥーは自傷行為でありそれをする人は被保険者としては不適格らしい。

それが仮に美容やファッションであってもね。
それと、皮下に入った墨が磁気に反応して発熱・火傷を起こすのでMRI検査も受けられない。
社会生活におけるデメリット以外にもあるので、軽挙は慎むべきですね』(同前米)。
なるほど。生命保険もものによっては入れるものもあるようである

そういえば、日本では確か一般の銭湯とか温泉では入れ墨をいれた人は入れない筈だが、
入れ墨をいれた外国人はなぜ入国できるのか。
目につく部位に入れ墨のある人は、日本の慣習によって入国を拒否した方がいいのではないか。
入れ墨は目障りだからである。そんなものを見せびらかせて闊歩されたら不快だからである。

日本では「入れ墨=犯罪者」という観念が植え込まれているから、恐怖感を感じるからである。
おまえらも背中に入れ墨が入った日本人は入国審査で落とすだろ。日本じゃ入れ墨はヤクザと
同義語だから外国人だろうと気持ち悪いだけ。私は安全ですって首から看板かけて歩け。
(同前米)。「気持悪い」と言えばいいのか。街中で入れ墨は違和感があると言い換えておこう。

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# by munojiya | 2018-05-13 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-05-12 イチローの耳はスポーツマン耳というのか
知らない人以外、みんな知っているイチローである。怪物である。
時に投手もやるから、パートタイマー二刀流の選手である。
野球業界では打つと投げるは両立しないというのである。
麻薬を打って、人生を投げるのは両立するけれど。

言うならば片輪のスポーツなのだ。いや、分業制の先進的〈へんぱな〉スポーツだとしておこう。
その野球のイチローが、大谷翔平の二刀流について語っている動画である。
庵主は、野球に興味がないから、その発言内容よりもその耳に注目するのである。
さあ、この耳を朝鮮耳と呼ぶか、である。朝鮮耳の実例とされているのがこの人の耳である。

その耳よりもこっちの写真に目が行ってしまったけれど。
美女はともかく、それはスポーツマン体質の人によく見られる耳だと書いている人相の本もある。
すなわち、耳たぶがなくて、耳が頭の側にくっついてるような耳のことである。
闘争的で野獣性に満ちている性格の人がそういう耳をしているという。スポーツ向きなのである。

いわゆる朝鮮耳は、朝鮮人に多く見られる耳相だが、しかし、朝鮮人でも朝鮮耳をしていない人
がいる。ならば逆に、朝鮮人でないのに朝鮮耳をしている人もいるのだろう。
さて、イチローの耳は、朝鮮耳なのか、スポーツマン耳なのか。庵主には判らないのである。
よく似ている純米酒とアル添酒を見て、どっちなのか判らないように、である。凡人なもので。


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# by munojiya | 2018-05-12 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-05-12 今週のユーモア「最近の恋愛はすごいなぁ」
噂なので本当かどうかは判らないが、ジャニーズの山口達也さんが、おっとここは逆の意味で
山口達也メンバーとした方がいいのか、キス“等”をしたJKに払った示談金が2000万とか。
普通「メンバー」とは、「忖度」を激しく糾弾するマスコミが忖度して使っている言葉である。
「容疑者」の事である。日本では送検事案は99.9%有罪という事から犯人と同義語である。

山口達也氏は、幸いなことに書類送検で事がすんで、不起訴処分になるようである。
裁判入獄といった事は避ける事に成功したのである。
不起訴処分というのは、犯罪相当だが、金をかけて裁判や入獄手続きをいるまでもないという
検察の温情の事である。普通は犯行に及んだ情状を酌量しての検察の仏心をいう。

しかし、金を積んで不起訴処分に持ち込む事もできる。今回の山口達也氏の場合はそっちの方。
そのかわり法務当局に顔がきくヤメ検弁護士などに払う費用は馬鹿にならない筈である。
そういう事情なので、不起訴になったからといって、素直に山口達也さんと書けないのである。
そこで「さん」付けしないで呼ぶいい方法が「山口達也メンバー」である。逆用したのである。

2000万円という金額が、もっとすごい事情があったのではないかという邪推を生んでいる。
離婚して今は独身なんだし恋愛ぐらい好きにさせてやれよ』(典拠2:47)。
最近の恋愛はすごいなぁ』(同2:52)。金額はヤバい事情があってその口止料なのかも。
山口メンバーは相当酒癖(女グセも)が悪いらしい。酒癖の悪い人は気をつけてね、である。

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これで20歳以上の女性ならそうだろうな』(典拠2:53)。
未成年でしかも16に手を出した山口が全て悪い』(同2:57)。
田舎に一軒家立つな』(同前3:00)。2000万円というのはガセだという説もある。
別の邪推動画で見ると、山口達也メンバーの耳は見事、これまた噂の朝鮮耳なのである。

朝鮮耳が話のネタにしか役に立たないのは、朝鮮耳でないチョウセン人もいるし、朝鮮耳をした
日本人や西洋人もいるという事である。チョウセン人だけに特有の耳ではないからである。
素人には、朝鮮耳だという事だけでその人がチョウセン人なのかどうかは見分けられないのだ。
旦那が朝鮮耳なので気になって気になってしょうがない日本人妻もいるのである

苗字の漢字が左右対象なのはチョウセン人だという見分け方もあるのである。
苗字が左右対称って、そんなこと言ったら田中も山田も山本も中田も吉田も朝鮮人になる
じゃん
5割超えるんじゃない? 少しは自分の頭で物を考えなよ』(同前米18)。

庵主のオチはこうである。
左右対称はソレだというなら、「日本人」はみんなチョウセン人だという事になっちゃうぞ。 
話戻って、山口達也メンバーはいま悲惨な状態になっている。
書かれ放題だな』(典拠4:32)。どこまで本当なのか判らないのである。

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# by munojiya | 2018-05-12 00:03 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2018-05-12 【手品】「すべてバラバラのカードです」
今時「毎度ばかばかしいお笑いを申し上げます」と言って落語をはじめる噺家はいないという。
ところが、手品ではいるのである。
「種も仕掛けもありません」と言って手品をはじめる人が。
これも、言葉は違うがそれと同じセリフである。つまり、言わなくてもいいセリフなのである。

デックの表を見せてスプレッドしながら、
全てバラバラです』(典拠1:32)。
ここでは、そういう風に見せるという説明で使われている言葉なので、それをそのまま口にする
わけではないだろうが、そのセリフを本当に言ったら藪蛇というものだろう。

お酒に「無加糖」と表示したものがある。暗にこのお酒には糖分(多くは水飴)を使っていない
から混ぜ物のお酒でないのでうまいお酒だといいたいのだろうが、それが蛇足なのである。
それを見たら、呑み手はこう思うのである。
「ということは、他のお酒は砂糖を混ぜて造っているのか。普段のお酒は混ぜ物なのか」と。

昔はお酒に水飴がよく使われていたが、今は醸造用糖類添加のお酒はまず見られないのである。
で、「バラバラのカードです」などといらない事をいうと、客は思うのである。
「じゃ、手品師がやっているトランプ手品は仕掛けのあるトランプを使ってやっているのか」と。
あるいは、「ということは、逆説で、このトランプには判らない仕掛けがあるに違いない」と。

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こちら普通のトランプですね』(典拠0:56)というのもある。
当然、そのセリフを聞いたら、客は思うのである。
「本当に普通のトランプなら仕掛けがあるわけがないから、わざわざ、仕掛けがありません、と
言うって事は実はなにか仕掛けを施してあるのだろう。絶対、それを見破ってやるぞ」と。

手品は、道場破りにきた来た客との対戦ではないのである。
客に、挑発するようなセリフを言う必要はさらさらないのである。
手品は、種を見破るゲームではなく、不思議を楽しんでもらうものなのだから。
「トランプを使った手品をやります」でいいのではないかい。

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# by munojiya | 2018-05-12 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2018-05-11 噂の真相「朝鮮耳」
どこかの美術大学の入試問題で、「鉛筆だけを使って、砂糖と塩を描き分けなさい」という
出題があったという。
鉛筆一本で砂糖と塩を“書き”分けなさい、というのなら庵主でもできるのである。
しかし、それを絵で表現するとなると、さてどうやったものか見当もつかないのである。

砂糖はアリが群がっているところを、塩は力士が土俵で撒いているところを描けばいいのか。
「皿に盛った砂糖と塩を鉛筆だけで描き分けなさい」となったらお手上げである。
はたして、それを描き分けられる人がいるのだろうか。
「鉛筆一本で、盃に入っている純米酒とアル添酒を描き分けなさい」ならどうか。

酒銘のはいった盃がある。それで一つには「山本」と、もう一つには「大関」とでも銘を入れて
おけばいいのか。「山本」は純米酒しか醸さない蔵元だからである。
バターとマーガリンを鉛筆一本で描き分けられるか。庵主には描き分ける才能はないのである。
日本人とチョウセン人ならどうか。漫画家はちゃんと描き分けられるのだから凄い。

チョウセン人には朝鮮耳という特徴のある耳をした人が多いというからそれを描けばいいのか。
こんな噂を聞いた事がある。藤本美貴は日本人とはかけ離れたDNAの持ち主だというのである
聞いたら、その父親は総連の役員をやっているというから血はチョウセン人なのだろう。
それで、耳はどんなものかと気になって藤本美貴の耳を見てみたのである。なるほど。

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自他ともにチョウセン人だと認める和田アキコの耳の形はどうだろうか。なるほど、なのである。
当然金慶珠先生も、と思ったが、チョウセン人は必ずしも朝鮮耳ではないようである。
金先生の性格はチョウセン人そのものであるが。いな、反日芸人を演じているのかもしれないが。
日本に住んでいながら、日本人の悪口を言う人は見ていて悲しいのである。

それが芸風だとしても、その様には憐憫の情を禁じ得ないのである。
お酒を呑んでいるときに、そのお酒の悪口を言っても何の利益もないようなものである。
折角出合ったお酒を呑みながらそれを心から楽しめないというのは悲しいサガである。
お酒を呑む甲斐がないではないか。それを言うに、可哀相という以外に言葉がないのである。

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# by munojiya | 2018-05-11 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2018-05-11 【手品】客にカードを覚えさせてはいけない
トランプの手品では、「客にカードを覚えさせてはいけない」というのが庵主の持論である。
故・永六輔師は、アンコはつぶ餡が嫌いだったという。こし餡しか食べなかったという。
というと、つぶ餡が嫌いだったのだろうと思うが、実はそうではなかったのである。
つぶ餡だと、入れ歯に挟まるからこし餡しか食べなかったのだという。

庵主が、客にカードを覚えさせてはいけないというのも実はそれなのである。
庵主は、引いて覚えたカードを忘れてしまうからなのである。
覚えられないといった方がいいのか。
「引いたカードは何でしたか」と訊かれたら思い出せなくなるのである。

幸いなことに、それは庵主だけの事ではなかったのである。
セリフはちゃんと覚えられるこういう有名人でさえもまたそれが苦手なのである。
すなわち、客に選んだカードを覚えさせてはいけないのである。
庵主が手品ショーを見ていて嫌いなのは、その番組で使われているガラスのテーブルである。

そんなテーブルを使う手品師はダサいと思うのである。カードが見にくくてよくない。
背後に動く画面を持ってくるこういうセンスにも同じものを感じる。目障りで見にくいのだ。
といいながら、庵主がお酒を呑むのに使っているのは、透明ガラスの日本酒グラスなのである。
柳宗理デザインの60MLのものである。これは逆にガラス越しのお酒の艶を見たいからである。

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それと、今の手品師で気になるのは、上着の袖口をたくし上げて演じる人がいる事である。
ランス・バートン師にしてそれなのである。
それって、社会の窓を開けて手品をしているようなものである。ダサいのである。
前田知洋師がわざわざガラスのテーブルを使うのは種も仕掛けもないといいたいのだろう。

ランス・バートン師も、上着の袖には何にも仕掛けなんかありませんよと言いたいのだろうが、
そういう服の着方は世間的にはみっともないということなのである。
別の言葉で言えば、不自然だということである。
手品の演じ方の基本は不自然な動きを極力排除するということである。基本に悖るのである。

上着の、しかもカジュアルではなく、フォーマルな服の袖をめくって着る馬鹿はいないのである。
だらしなく見えるという以前に、その人は服の着方も知らない無教養な人に見えてしまうのだ。
そんな服の着方をして大っぴらに手品をやる事は他の手品をやる紳士に対する侮辱だろう。
手品をやる人のトッププロでさえその程度のものだと喧伝しているようなものだからである。

ショー(見せ物)をやるときには服は上品〈スマート〉に着てほしいということである。
マジシャンとは手品をやる人ではなく、スマートなものを見せてくれるかっこいい人であって
ほしいのである。グレート・トムソーニの社会の窓を開けて演じるという手品も見苦しい
アメリカ人の手品も劣化しているのである。腕はあるといっても品がない手品はねぇ。

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手品は統一性を持たせた方が良いと思います。
配り方、めくり方、カウントのリズム、その他諸々。
カード触った事が少ない素人の方でもエンドを持って配る方は私は見た事がありません。
典拠米)。やっている当人は真面目だろうが、傍から見るとギャグに近いのである。

私もそう思います。
手品の完成度は無駄や不自然さを削る事ですからね。マジックをやっているとマジシャンは自然
に思っている事が観客からすると違和感があるケースがあります。
やはり客観性が大事だと思います。』(同前米)。

この二つのコメントは、変なカードの配り方でする手品の解説に対するものである。
普通の人ならそんな配り方をしないというおかしな配り方に対して、そういう奇矯なやり方は
手品じゃないよと諭しているのである。
手品では無駄な仕種や不自然な動きは排除するべきだという美意識によるのである。

手品に凝ってしまうと、手段である技法にのめり込んでしまい、目的である不思議な現象の実現
という全体像が見えなくなってしまうのだ。技法が手品なのだと自己陶酔してしまうのである。
どんな業界でも世間離れした業界常識があるように、手品業界でも外から見たら明らかに不自然
な事が堂々と行なわれているのである。袖口をたくし上げて手品を演じるのもその一つである。

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# by munojiya | 2018-05-11 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)